巡る月


心ってやつは流動的だ。

或いはその指先に、或いはその瞳に、或いは、全身に。

血液と一緒にとめどなく流れて、どうしようもなく溢れて止まらなくなった後、より具体的で鮮明な「感情」という言葉に姿を変え表出されていく。

心臓に還るそれが、流れ続ける限り。

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彼女は滅多に感情を表に出さない。
厳格な家庭に育ち、感情的になることは恥だと両親から教わってきたという。

本人もあまり活発な性格とは言えず、日がな一日本を読む日々を送っていたそうだ。

「私は、ほら、なんというか、つまらない人間だから」

自嘲気味に笑う彼女はどこか大人びていて、達観した綺麗さを滲ませていた。

「僕は、あなたがつまらないと思ったことはないよ、怒ってる?と思ったことはいっぱいあるけど。」

「なんて?」

「そういう返事とか」

他愛もない問答を繰り返して、二人で顔を見合わせて笑いあう。

いつの間にか二人のお気に入りとなっていた窓際に座り、雨音をBGMにして。

「ねぇ、変なことしようよ」

急に彼女が言い出した。

「変なこと?」

「そう、二人でお湯の張ってないバスタブに入って、そこで体育座りなんかしながらしばらくいるの、話したければ話せばいいし、ただそこに居るだけでもいい」

「感傷的なことしようとするね」

「いいでしょ、意味なんて考えないで、理由のない行動も人生には大切なんだよ?」

やけに楽しそうな彼女に負け、言う通りにしてみた、服を着たまま空のバスタブに二人で入っている様は、親に見つからないよう隠れて遊ぶ子供のようだった。

「なんか変な気分だね」

「変だし、ちょっと濡れてて冷たい」

「あはは、ほんとだ、窓開けて換気はしてたのに、雨だから乾かなかったのかも」

少しだけ会話を挟んで、それから二人で目を瞑る。

人間は生まれながらに、感情を持っている。
言葉よりも先に得るそれは、どんなに秘めようと思っていても、留めておく事は難しい。

満足そうに目を瞑る彼女をみて、歯痒くなるほどの感情が押し寄せていて、不確かな感情の在処を見つけられたような気がした。

時々、心というものが不思議に感じることがある。

当たり前のように口にして、当然のように扱うそれを、本当は誰もみたことがない。

心や感情は、心臓を中心に全身に流れ、血液と共に絶え間なく循環している。
あるきっかけと共に溢れて、ある時に掌に集まって包み込み、またある時に涙となって流れ、様々に形を変えながら流れ出てはまた作られていく。

総体積の内のたった21gが手放せなくて、迷い、傷つき、愛し合う。

「全く……不器用なもんだよな……」

僕の独り言を聞いてか聞かずか、彼女は目を閉じたまま小さく笑い、手を握った。

彼女と心が繋がった気がして、なんだか嬉しくも気恥ずかしかった。

溢れた心は二人を包むように、空のバスタブは満ちていった。

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