terminal
人生の終わりを考えた。
永遠、そんな言葉すら思わせるほど長い時間、粗く舗装なんてされてない道を行く。
節目毎に駅があって、そこに行きつくと色々な人や物、出来事に出逢う。
そして、数多ある駅を過ぎた先、人生の終着点、そこにあるものは、そこで最後に出逢う人は。
僕の祖父は8年ほど前老人ホームで生活をしていた、祖母はすでになく、10年ほど一人で生活をしていたが、自宅で怪我をしたことをきっかけに入所に至ったという。
当時、僕と姉はまだ小さくて祖父との思い出は少なかった、会えば優しく話を聴いてくれる、そんな印象の人だった。
老人ホームに入った後の祖父は、最初こそ元気に過ごしていたらしいが、ここのところ体調が優れないらしい、先生によると、年齢もあるためあまり長くはないだろう、と言われていた。
祖父は今年で85になる、時代の変遷をその目で見てきた祖父が最後に何をその眼に映すのか、無性に気になった。
「人生は思い出だ、それを忘れちゃいけないよ。楽しいことも、もちろん、辛いことも。」
祖父の言葉はいつも優しかった、決して楽と言えない生涯を歩いてきた祖父が遺す言葉は、間違いなく愛をもって贈られた。
「ほら……春だよ。」
それからまた数年経ち、祖父は駅を降りた。息子や孫に見送られ、先生と老人ホームの職員が後ろで静かに手を合わせるなかで。
「涼」
家に帰った後、姉が部屋を訪ねてきた。
「どうしたの?」
久々に顔を合わせた姉の顔は、少し暗かった。
「少し、話そうよ」
「ねぇ、覚えてる?あんたおじいちゃんにべったりだったんだよ?将来はおじいさんのお世話するってずっと言ってたし」
「言ったかなそんなこと、それより、姉貴の方こそじいちゃんにベタベタだったじゃんか、買い物行くのもじいちゃんじゃなきゃ嫌だって、あの時の親父の顔凄かったぞ。」
「えーそんなこと言ったかな?覚えてないなー」
「どっちも覚えてないのかよ…」
「そりゃだって10年以上も前のことだよ?覚えてる……わけ……」
そのあと、姉は小さく
「……寝る」
そういって姉は布団を被った、背を向けたまま僕も寝転がった。
しばらく肩が震えていた姉がようやく穏やかに寝息を立てた頃には、窓の向こうは明るくなっていた。
祖父が遠くへ行った日からずっと、人生の終わりについて考えていた。
整備もされていない汽車に乗り込み、粗削りででこぼこな道の上をゆっくりと進んでいく、道程には駅があり、思い出を作りまた汽車に乗り込む。
駅には必ず終着点がある、そこは10年でたどり着くものなのか、80年かかるのか。生きた跡が道になるのなら、僕たちはあとどれくらい道を作り、駅を過ぎることができるのだろう。
それからまた月日がたった、祖父の一回忌の日。
代々親族が入っていた墓に、祖父も入ることになった。
傍らには祖母がいる、二人は10年余り離ればなれになっていたけど、これからはずっとそばにいる。
「ちょっと涼!ちゃんと掃除しなさいよ!バチあたるわよ!」
「その発言がバチあたりだろ……」
かつて、人生の価値は終わり方だと叫んだ歌があった。
自分が自分として死ぬため、大切なものを大切なまま遺すため、未来を、思い出を作るために人は生き、そして死ぬのだろう。
ふと、暖かな風が吹いて、遠くで新幹線が過ぎていった。
(ほら、春だよ)
「え……?」
一瞬、祖父の優しかったあの声が聞こえた気がした、けれど、姿はもう見えない。
「なんだよ……いるなら言ってくれればよかったのに」
「涼!さぼってないで掃除しろ!」
「はいはい……」
たくさん背中を押してもらって、僕は今日も汽車に乗り込む。
「春か……」
遠くの空で、二人の笑い声が聞こえた気がした。
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