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すごい論語 ~論語の新解釈~

先日読んだ「すごい論語 (安田登著)」に書かれていた話が衝撃だったのでそれを記事にしてみました。有名なコレ「三十而立。四十而不惑。五十而知天命」の話です。
『論語』を孔子の時代の文字で書き直す。という試みをした人がいて、その人によると「」という字は孔子の時代にはなかった、という新解釈です。で、何の字が書かれていたかというと「」という字であり、これが事実なら解釈が全く反対になる!という衝撃的なお話です。

学校で習った『論語』を復習してみる

子曰、
「吾十有五而志于学。三十而立。四十而不惑。五十而知天命。六十而耳順。七十而従心所欲、不踰矩」

始めに私たちが10代のころに教わった解釈を振り返ってみましょう。
必要箇所を現代文にすると「30代で一人立ちし、40代にはもう惑うこともなくなった!50代には自分の使命がわかっちまった YO!」ってやつです。いわゆる「石の上にも三年/継続は力なり」という感じで習ったかと思われます。僕もそう思ってました。だって、40代と50代のコメントの意味がそんなに変わらないですからね。30代で手に職をつけ、40代で惑わず継続することで、50歳でやっとその本質が分かる!みたいな感じだと。
ところがですよ。これが全然違ってるんですって!ビックリだよ。目玉飛び出るかと思いました。飛び出ないですけどね~

『論語』を孔子の時代の文字で書き直す

そもそも何で孔子さんが書いたものと違っているのかというと『論語』は孔子の死後400年後に弟子が編集したものなんです。だって孔子が生きてたのは紀元前500年ごろですからね。春秋戦国時代ですよ。
諸々の歴史的経緯を踏まえ、改めて古典を解釈しようと試みた人が中国の古典学者の聞一多さん(1899-1946年)だそうです。と、

安田登著 「すごい論語」ミシマ社(2019)

には書かれていました。解説記事は同じサイトから前半後半で読めます。
その結果「不惑」ではなく「不或」であったことが分かりました。
何が変わるかって?
」の意味は「境界線を引くことで場所を区切ること」です。つまり「自分のお城を築く」という意味なんですよ。だから「四十而不或」というのは「30代に自立して自分の城を築いたかもしれんが、40代では、そんなふうに自分を限定してはいけない、その殻を破ることこそが必要なんだ」となっちゃうわけです。なんてことだ!!!
もう、完全に真逆だし、しかも、このほうが腑に落ちちゃいますよ!!
目から目ヤニだけじゃなく鱗が落ちちゃいますよね。鱗ないですけどね~
40代って迷う年ですよね、このまま続けて行くべきか、自分の方向性を変えるべきなんじゃないか?って、そんなとき論語とか読むと「40代になったら迷わず道を進む」とか書いてあり、あ~~オレはダメ人間だなって思わされてましたよね。違うんですよ!
40代こそ、一度作った自分の城を壊すチャンスなんですよ!
ってことでテンション上がっちゃいましたワタクシ。





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