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「How to make Sushi」が面白すぎる件

一時期twitterで話題になった「寿司の作り方~私は貝になりたい~」が面白すぎるので、それに関する感想などを書いていきます。なんか面倒くさい解釈も含まれてるので、そう感じられた場合は途中で読むのを諦めて、このすしネタだけ見て笑って頂けたら幸いです。

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原作はスペイン人によるものらしいです。
これ、面白いですよね~、わかるわ~~ってなっちゃいますよね。

こんな簡単なこともできないなんて・・・
きっと私は他のことも出来ないんだわ・・
なんで、こんなにダメ人間なんだろう・・
あぁ恥ずかしい・・
消え入りたい・・
貝になりたい・・
って感じですよね。

でもね、ワタシ気づいたんです。
これ恥の文化に基づいて笑ってますよね。
だから恥の文化を持たない人たちは笑えないんじゃないか?と思い外人さんを含めた友人にアンケートを実施しました。
「これ面白い?」って英語版を送りました。

アンケート結果

その結果(人種的な差を見出せるほど友達がいない)、半分くらいのヒトは「わかるわ~こういう感覚になるときある(でもそんなに笑ってない)」で、残りの半分は「お前はなんてことを考えるんだ!ダメじゃないか!」って言われました。えっそうなの!?って結構ビックリしました。ダメって言われる理由はどこにあるんだろうと不思議でした。ちなみに日本人は予想通りほぼ100%で笑ってました。

まぁそれ以上なんもでないからと放置してましたが現在読んでる本にそれを説明できることが書いてあったのでその内容を記事にします。
本はコチラ。
Joseph Henrich (2020) The WEIRDest People in the World
まだ未邦訳ですが、そのうち翻訳されるでしょう。

恥の文化に対する罪の文化

恥の文化とは、他人の眼を気にするということにつきます。我々日本人にとって、この手巻き寿司をつくるなんざ~朝飯前なスキルですよね。出来なかったら恥ずかしいですよね。でも、まぁこんなスキル別にあってもなくてもたいしたことないじゃないですか。しかも数回練習したらすぐ出来るようになるし・・っていうテンプレートが日本人にはあるんですよ、きっと。だから、我々の笑いのツボは気にするべきでもない ささいな恥の意識を拡大解釈したところにあると分析しました。そんな大げさな!ってところで笑ってる。。で最後の「誰も私を愛さない」は村社会からの排除を意味してるわけです。

その一方で恥の文化をあまり持ってない人たちもいます。
えーいるんですよ。ビックリでしょう。。
で、彼らが代わりに持っているのは罪の意識です。なんかキリスト教的なあれに近いやつです。ここで気にするのは神の眼じゃなくて自分の眼です。
この本に出てきた例が、夜中にピザ一枚一人で食べちまったよ~っていうものでした。どういうことかと言うと、全然自分をコントロール出来なかったよ!なんてことだ!ってことです。いわゆる酒飲んで酔っ払ったりするアレです。
この目線でこのネタを見ると、巻寿司を作るという技術を持っているはずのオレが失敗した・・なんてダメな人間なんだ。こんな簡単なことができないようでは(例えば、ネクタイやら靴紐を結ぶ的な)、就職活動の面接でもきちんと喋れないし、働いてもロクなことにならない!という自分への自信の喪失と感じるようです。
だから友人は僕にたいして、そういう(この指示語には何ら明示的なものはありませんでしたが)邪悪な考えは、やめたほうがいい!というコメントをくれたんだと納得しました。
ちょっとした失敗で自信をなくすなんて、よくないよ!ってことです。
なんか、もう全然違う話になってますよね。文化の違いって凄いですよね。

お互い当たり前すぎることは言語化しないから、曖昧のままになっていた謎がこの本を読んで、そういうことね!って勝手に納得できちゃいました。

へ~~って思って頂けたら幸いです。
私の解釈に賛同できなくても、すしネタを見て笑って頂けたら幸いです。

おわり



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