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今日会いに行きたい!気になる土偶#042東京大学総合研究博物館

いきなりのアップで失礼します。
これが私のほぼ全身なのです。
土偶ではありません。弥生時代の土器です。

栃木県野沢遺跡出土
東京大学総合研究博物館

今日ご紹介するのは、インパクトある〝顔〟を表現した「顔壺」と呼ばれる弥生時代の土器です。
土器全体を顔と見立て、粘土で目・鼻・口・顎を貼り付け立体的に表しています。前面の殆どが刺青のような模様で刻まれているのも特徴的です。

この「顔壺」は、再葬墓という墓から出土しました。

再葬墓とは
遺体を一度土葬して、ある程度時間を経てから再びその墓を掘って骨を取り出し、それを甕形かめがたの土器に入れて再び埋葬するものです。
主に弥生時代の前半ごろに中部地方~南東北地方で行われていたようです。

再葬墓が作られるようになったのは、なぜでしょうか。
その理由は、祖先を同じくする集団の繋がりを確認し、関係性を強めるためであったと考えられています。
弥生時代は、水田稲作技術が広まったことで安定した食料が確保できるようになり、それによって健康状態が良くなり人口が増えていきます。小さな集団で別々に暮らすのが一般的になり、その居住域も広がっていったようです。

そのような生活の中で、亡くなった人を弔う儀式のために一堂に会することは、祖先を同じくする集団という意識を持ち、きずなを確認し合う大切な場であったと考えられています。

土偶形容器との関係も気になります。

土偶形容器とは
弥生時代の始め頃に作られたと思われる、小さな子どもの骨を入れる〝土偶のような土器〟です。それは縄文時代の土偶と同じような形をしていますが、頭の部分に大きな穴が開けられていて、そこには子どもの骨が納められていました。

『顔壺』も土偶形容器と同様に、縄文時代の土偶の顔の表現を引き継いでいると思われ、土偶との繋がりが考えられるようです。

縄文時代の土偶の多くは女性を表しているとされ、生命の誕生や命をつかさどる役割をもっていたとされます。
弥生時代になり土偶は姿を消しましたが、土偶のような表現を施すことで、亡くなった人の命の再生を願ったのでしょうか。

しかしながらこの土偶、どう見ても女性を表しているようには思えませんね。どちらかというと、温厚な男性の顔のように見えます。
諸説あるようですが、この顔は亡くなった人の顔など特定の人の顔ではなく、「祖先の顔などを表している」という風にも考えられるようです。

「顔壺」が使われた再葬墓には、今の私たちが葬儀や法事などで親戚一同が集まるのと同じような役割があったようです。

何事もシンプルに…という風潮の中、先人たちの生活を振り返ってみることも大切かもしれませんね。

*参考図書
縄文文化が日本人の未来を拓す 小林達雄 徳間書店
縄文土偶ガイドブック 三上徹也 新泉社
縄文と弥生 かながわの遺跡展パンフレット 神奈川県教育委員会

最後までお読みくださり有難うございました☆彡

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