今日会いに行きたい!気になる土偶#058釈迦堂遺跡博物館
9月というのに相変わらずのこの暑さ!
我が家の近くの公園では、みな太陽の陽ざしを避けて、一番賑わう時間は夕暮れ時。
その時間でも、ひと昔前の賑やかすぎるほどの子ども達の声はあまり聞かれず…子どもの減少がまったなしの問題であると日々実感しています。
子どもの誕生が未来への希望
それは約5000年前の縄文時代も同じでした。その切実な願いや祈りは、祭祀に使う祈りの道具・土偶に込められていたようです。
「出産土偶」
高さ7.8㎝、頭と左腕を失い、右腕は肘までとなってしまった土偶です。「出産土偶」と言われているように、「出産」をしている場面であると考えられているものです。
縄文時代の中期頃に、このような「妊娠した女性を象った」と思われる土偶が盛んに作られました。
赤ちゃんの死亡率が高かったこの時代、無事に出産して、その子どもが大人になるまで成長することはとても難しかったようです。子どもの誕生と成長は切なる願いであったのですね。
子どもの成長は働き手となる生産活動に繋がり、「食べる」こと、しいては「生きる」ことに直結していました。
そして、それは家系や集落の存続ということにも繋がっていきました。
子どもの誕生・成長は個人や家族だけの問題ではなく、ムラ全体の問題として考えられていたようです。
ムラで行われる祭祀で使われたこの「出産土偶」が、それを証明しているようです。
全体像がちょっとわかりにくいのですが、
元々は、「しゃがんで、腕を後ろに回していた」と考えられています。
よく見ると、しゃがんだ股の間から何かが出ているのがわかります。
「生命の誕生」の瞬間を写し出したと考えられています。
横から見ると、しゃがんんで後ろに手を腰に回している様子が見て取れると思います。
しっかりと脚をふんばって出産する…母なる土偶の力強い姿です。
約5000年前の縄文時代に、このような「命の誕生やこどもの成長」の祈りをこめて、土偶が作られました。
これから5000年後…がもしあったとしたら、今の私たちの願いや祈りは、どんな形で残るのでしょうか。
出産土偶は「釈迦堂遺跡博物館」で見ることができます。
同じ遺跡から出土した可愛い土偶たちもいっぱいいますよ!
最後までお読みくださり有難うございました☆彡
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