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今日会いに行きたい!気になる土偶#060

先日訪れた秋田県の大湯環状列石おおゆかんじょうれっせきで出会ったのは、土版どばんドバンくん

口からお尻?に繋がる消化器官があったという事実が判明し、ひょっとすると土偶では?とも思われますが、何であったとしても可愛らしいことには変わりありませんよね。

そしてこの遺跡からは正真正銘!の土偶も見つかっています。
今日はその中で一番大きかったと思われる土偶をご紹介します。

ドバンくんから想像するに、
ここから出土した土偶はさぞかし可愛らしいだろうなぁと思いますが…

それが、
ドバンくんとは似ても似つかないこの土偶。
小さな子ども程の大きさもある、
かなりガッチリしたイメージの土偶です。

残っているのは手足だけ、
どんな顔をしているのか?まるで見当がつきません。

この大きさで中は空洞。
粘土を薄くのばし空洞の手足を作った技術や
割れないように焼き上げる手間暇を考えると、
マツリの場で人々の前に「女神」として崇められた大切な土偶であったと想像できるようです。

さらに近づいてよく見ると…
膝の曲がり具合や
皮膚の微妙な凹凸までが表されていて、
まるで人の足を石膏で型に取ったようです。

足が筋肉や骨などで成り立っていることを
知っていたようにも思えてきます。

これはご愛嬌?
足首から下は大きくデフォルメされていて、
可愛らしく爪も表現されています。

他にも大きな足だけなってしまった土偶をご紹介しましょう。

2つの足は別人のもののようです。
右の足は、やや偏平足気味の甲に指がしっかりと象られ、台地を踏みしめている…そんな力強い意思が感じられてきます。

土偶の中でもこのような、足の指までが象られているものは少数派です。

しかもこのように台地を踏みつけそうな、今にもすくっと立ち上がり歩きだしそうな足は殆ど見かけません。

土偶には足があって「自立するもの」と、「自立しないもの」がありますが、「自立するもの」は大勢の人々の前で目立ち「祈り象徴」としての役割があったと考えられています。

一方で足が無く「自立しないもの」は、家族や少数の為の「祈りの道具」であったと推測されています。

この今にも歩きだしそうな「自立する土偶」は、他の多くの「祈り象徴」とは違う「何らかの意味」を持ち合わせていたのかもしれません。

しっかりと台地を踏みつける

歩き続ける

約500年間続いた大湯環状列石おおゆかんじょうれっせきで生きる人々の「歩み続ける」という教えだったのでしょうか。

最後までお読みくださり有難うございました☆彡

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