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東京にストーンサークル!? 駅から歩いて5分の気軽に行ける縄文遺跡

東京のストーンサークルとは

縄文遺跡と言うと、青森の三内丸山遺跡を代表するように、東北や山梨などの山間の地域にある有名な遺跡を思い浮かべることが多いようです。
意外に感じる方も多いかもしれませんが、東京には縄文時代の遺跡がなんと約3,800ヶ所以上も確認されています。

その中で都内で唯一見ることが出来るストーンサークルが、ここ「田端環状積石遺構」です


都心から京王相模原線で40分ほど、
緑が多く残る地域にマンションや住宅が立ち並ぶ多摩境駅から僅か徒歩5分

住宅やビニールハウスに囲まれた広場の穏やかな斜面地を登った先に、ストーンサークルがあります。

縄文時代後期~晩期(約3,500年~2,800年前)に作られた墓地であり祭祀場です。
もともとは30基ほどの墓地であった場所に、やがてその上に多くの人が集まる祭祀場が作られたと考えられています。

遺跡の緩やかな丘を下り少し行くと小さな境川の流れがあり、ここは縄文人にとって最も大切な水を得やすい場所であったことが分かります。

遠くの山々を背に、ストーンサークルの大きな石に座り絵を描く近所の少女たち。
縄文時代もこの様に、子ども達の遊び場でもあったのかもしれません。

ストーンサークルの大きさは9×7mと比較的小さなもの。
現在は実物を埋め戻して保存し、その上にレプリカで遺構を復元しています。

この遺跡は、はるか遠くの丹沢山地や富士山も見渡すことができる絶景地。
冬至の日没時には丹沢山地に太陽が沈む様子が見られるとのことです。

このストーンサークルも他の同様の遺跡のように、山と太陽の位置を意識して作られたようです。

近くに川があり、遠くに大きな山を望み、太陽の動きを見ることができる、緩やかな丘。
このランドスケープはストーンサークルの特徴を良く表しているようです。自然への畏敬の念を抱く人々の祈りの場所であり、祭祀の場所であることは、大規模なストーンサークルと何ら変わりないように思えます。

日本広しと言えども、同じようなことを考え、同じような場所を作り上げた縄文人たち。
情報の伝達手段など無い時代に、どうしてこのようなことがなしえたのでしょうか?
縄文時代の不思議はまた大きくなっていきます。

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秋の暖かい陽ざしが降り注ぐ、穏やかな一日、
東京の縄文人もこんなぽかぽか陽気に誘われて、遠くの山々を眺めにこの丘に集まっていたかもしれませんね。

ストーンサークルで縄文人の心に触れた後は、多摩境駅から電車で7~8分の多摩センター駅にある、縄文の村・東京都埋葬文化財センターに寄って、縄文時代の生活を垣間見るのはいかがでしょうか。

それともたまには、同じ多摩センター駅にあるサンリオピューロランドでパステル色の夢の世界へ、というのも楽しいかもしれませんね(=^・^=)


お読みいただきありがとうございました。


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