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どこを見つめていたのですか? -富山の縄文時代

北陸富山の縄文時代を知る旅‥
最初に訪れた小矢部市「桜町遺跡」では不思議な木材と出会い、そして金沢と同じ縄文文化があったことを知りました。

その小矢部市から再び電車に揺られること30分、富山市にやってきました。


〝富山〟と言えば〝立山〟。
先ずは、富山市が一望できるという〝富山市役所の展望塔〟から街を見渡すことに。富山駅から歩いて数分の無料の展望塔です。

地上70mからの景色は、薄曇りのお天気と黄砂の影響であまりクリアではありませんが…、

立山連峰がまるでカーテンのみたい!
思った以上の存在感、まるで街全体を覆っているようです。
5月も終わろうとしている頃なのに、まだ雪もかなり残っています。
ここに住む人はこの景色で季節を感じるのでしょうね。


そしていよいよ縄文遺跡へと。富山駅前からバスで15分程で北代きただい縄文広場」に到着です。
怪しかったお天気もいつのまにかすっきり晴天へ。

広々とした遺跡公園は、縄文時代中期の終わり(今から約4000年前)頃を中心に栄えた北代きただい縄文遺跡で、当時の竪穴住居や高床建物が再現されています。

広々~

立山連峰は…というと、ずっと向うに微かに見えるだけ、写真では雲と一体になってしまいました。

富山駅近くではあんなにも堂々とそびえたっていた山々、〝縄文人たちは立山を霊山として仰ぎ見ていたのだろうなあ〟という想像は見事に外れてしまいました。

意外な情景に少し気抜けしながら、傍らに立つ資料館を見学します。

中には北代きただい遺跡から出土した多数の縄文土器などの遺物、
その中でひときわ目をひいたのは、
この少し変わった形の有孔鍔付土器ゆうこうつばつきどき
なんだか頬を膨らませている〝人の横顔〟のように見えますね。

説明には〝ヘビが大きな口を開けている様子を表現した〟とあります。

全体にベンガラとみられる赤色顔料が塗られています。


有孔鍔付土器ゆうこうつばつきどきは各地で見つかっている土器で、その特徴は、有孔ゆうこうの文字どおり穴がいくつも開いていること、そして鍔付つばつきとあるように張り出したつば部分があるなど、一般的な煮炊きをする縄文土器とは随分違っています。

何のための土器であったのか?と言えば、〝上部に動物の皮を張って太鼓にしたという説〟〝お酒を作る・貯蔵する容器であったという説〟〝種や保存食を貯蔵する容器であった説〟といろいろな説が問われています。

ここではそれに加えて〝供献具(カエルの飼育)説〟がありました。
縄文時代にカエルをお供えした‥との話も初めてですが、しかも土器の中で飼育していたと考えられるとは!
初めて聞く〝カエル説〟、この土器の中にたくさんのカエル‥想像してみると何だか楽しくなってきます。


次に向かったのは、ここからさほど遠くない場所にある「富山県埋蔵文化財センター」

迎えてくれたのは、
何ともシュールなオブジェ「SPACE GATE」。
右手に〝石斧〟左手に〝土器〟を手にしているそうです。

ゴールドの仮面のようなものは…いったい⁈


折角なので…この両腕の「GATE」を通って建物へ。

ここには富山県内の遺跡から発掘された土器や土偶などが多数集まっていて、とてもバラエティーに富んだ土器を見ることができます。

縄文時代の富山では、東北~関西までの広範囲に及ぶ地域とのネットワークが築かれていたとされ、〝この地独自の土器〟〝各地から持ち込まれた土器〟また〝それを真似して作られた土器〟と多彩な造形を見ることができます。


こちらはご当地の土器。
ここ富山・石川を中心に作られた深鉢で、双頭波状口縁そうとうはじょうこうえんと呼ばれる、波型の口縁を持つダイナミックな印象の大型土器です。

縄文時代中期 上久津呂中屋遺跡


有名な新潟の〝火焔かえん土器(破片)も富山の遺跡から出土しています。
上:火焔型かえんがた土器、下:王冠型おうかんがた土器新潟から持ち込まれたと思われるものです。
この燃え上がる炎の様な造形が、この次にあげる写真の土器つくりへと繋がったのかもしれません。

縄文時代中期  上:早月上野・下:上久津呂中屋遺跡



こちらの土器は、上の土器の影響を受けたのでは?と思われる造形ですね。
左上部の口縁が大きく伸びた環状把手かんじょうとってや胴部のヘビの顔のような眼鏡状突起めがねじょうとっきが、縄文人の物語を表しているように感じます。

縄文時代中期 早月上野遺跡



こちらの美しく磨き上げられた浅鉢は、東北から持ちこまれと思われる亀ヶ岡かめがおか系土器〟のようです。
雲形の文様を表した土器は、〝磨り消し文様(一度縄文を施した後に磨いて縄文を消す手法)〟や〝沈線(棒などを使って線や円を施す)〟などの亀ヶ岡かめがおか系〟の特徴が表れています。

縄文時代晩期 井口本江遺跡


様々なルーツがある土器と一緒に、ひっそりと何体かの土偶が展示されています。
2体並んだ同じ逆三角形のような体の形、左の土偶の小さな頭は、東北板状ばんじょう土偶〟に似ているようです。

左:東黒牧上野遺跡 右:二ッ塚遺跡


これらのように土器や土偶を見る限りでは、富山の縄文時代は周辺の〝様々な文化が入り込み形成されていった〟言えるようです。



〝富山〟と言えば〝立山〟、縄文時代から変わらなかった、と思いきや‥
遥か遠くに〝立山〟を望む地域では、〝立山〟を取り込んだ文化はなかったようです。
崇拝するものが〝霊山立山〟でなかっとすると、心の支えとなるもの、信仰するものは何であったのでしょうか?
ここに暮らす縄文人は、何を見つめていたのでしょうか?

富山の縄文旅、次なる目的地へ向かいます。


参考図書
北代縄文公園パンフレット
富山県埋蔵文化財センターパンフレット

最後までお読みくださりありがとうございました。

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