土偶は壊され、何処へ…
縄文時代の土偶は人形とはいえ、そのほとんどは完全な形で出土することはありません。
焼き物であるので割れやすく、土の重みなどで壊れる可能性もありますが、それにしてはあまりにも「壊れている率」が高すぎるようです。
山梨県の釈迦堂遺跡からは1116点もの土偶が出土していますが、その大部分は顔や腕や脚、胴などバラバラとなって出土しました。
各地から出土する土偶も同様であることから、土偶は「わざと壊した」「壊されるために作った」と、考えられるようになりました。
あちらこちらで聞かれる「土偶身代わり説」は、土偶のある特定の部分を壊すことで、人間の疾病などを土偶へ転嫁した、というものですが、女性を模した土偶が多いことを考えると、どうも腑に落ちない点もあるようです。
その他にも、女性の姿を表しているものを壊して土に返すことから、新たな生命や再生、大地の豊穣を願っている…など様々な説がありますが、どれも確実となるような証拠はありません。
たくさんの土偶の破片。
それらはジグソーパズルのように組み合わせることができそうですが、ぴったりと接合したのは僅かに15例しかありません。
つまり1116体のほとんどが体の一部だけをここに残し、その他の部分は行方不明なのです。
数少ない接合した例。
くっきりした顔の土偶は上半身が見つかりました。
両脚が揃うのもごく稀。
今にも歩き出しそうな脚も、だれの脚か分からず。
他の遺跡では、何十メートルも離れた場所から土偶の破片が見つかった例もあり、そのようなことは稀ではないようです。
このようなことから、
多くの土偶は壊され、その一部が住居や捨て場などに埋められ、そのほかの部分は持ち去られたと推測できるようです。
壊され、埋められなかった部分は、
いったい何処へ?
狩りに行く時や、山を越えて知らぬムラへ交易に行く時などに、お守りとして持っていった?…とか。
それとも、もっと形がなくなるまで粉々されて跡形もなくなった?…とか。
きっと、ここに残った壊れた土偶たちも、その行方を知りたがっているでしょうね。
参考資料
1116 ~釈迦堂の1116点の土偶たち~ 釈迦堂遺跡博物館
最後までお読みくださり有難うございました。
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