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久しぶりの投稿です。

皆さんは、日々の中で

『感謝』について考えたことはありますか?

私は今、とある塾に入っていて、マーケティングや心理の深い学びを続けているのですが。

そこのグループで、「感謝のワーク」というのをしています。毎日の感謝できることを見つけて、自由に書き続けていく場があるのです。

当たり前のように続いていくできごとや、気づかずに素通りしている恩恵やらに、日々感謝できると

人生の明るさが変わります。

これはやってみるとわかります。


ハッキリ記憶があるのですが(とは言え何年くらい前かはおぼろげ)かれこれ20年以上さかのぼる頃、

世の中に、「感謝」という言葉が溢れ出した時期がありました。

たとえばブログのひとつひとつの記事の最後に、
メルマガを毎日読んでいても、

「今日もおかげさま。感謝です!」

そんなことが、、あちこちの文章で目につき始めたのですが。

当時の私はその風潮みたいなものに驚きました。
風潮というのは、感覚的には、

急に。突然に。

猫も杓子も、『感謝、感謝』と言い出した!
どーしたっ⁉️

という感じの違和感。


あまりにも急に、流行りの感じでその言葉を目にし過ぎたのか、当時の私には、薄っぺらい言葉に思えてならなかったんです。 

ちょうどその頃、私は自宅でホームコンサートというのを年に数回開いていて、

チェロリストさん、
狂言師さん、
アコースティックギターの方など、

とあるご縁から繋がったミュージシャンの方々のホームコンサートを続けていたのですが、

ある日、人生で一度きりの、超常現象みたいな体感覚を味わったことがあるんです。


毎回、いろんな演奏者が来てくださって、それを聴いてみたい!という、私とは縁もゆかりも無い方が、次々とお客さまとして来てくれていました。

そんな中、仲良しの友達は、お手伝いと称して、家の中で間近な演奏を聴けるなんてラッキー✌️と言いながら、10回くらい続けたこの場に、得意のケーキを焼いて駆けつけてくれていました。

毎回それらに助けられていた私は、

ありがたいなぁ。

こんなに二つ返事で楽しそうにケーキを届けてくれる人がいて。

不思議な縁で、素晴らしい音楽を奏でる人が来てくれて。

それを、「こんな近くで聴かせてもらってありがとう!」と感激してくれるお客さまがいて。

すごいことだ❗️と思っていたんです。

演奏後、簡単なお礼の挨拶と、最後にケーキとお茶でゆるんでくださいねーと、私が全員の前でお話するんですが。

回を重ねたある時のこと。

先ほどの3者(お手伝いの友達、奏者さん、お客さま)への感謝が込み上げてきて、涙で挨拶ができないくらい詰まってしまったんです。

そしてその時、ハッキリと見えたんです。

リビングのソファ、暖炉、照明、観葉植物など、人以外のすべてのモノたちが、震えるみたいに喜んでいるのが。

そのことを皆さんに伝えていたら、溢れ出した涙が止まらない感じになってしまい、ますます言葉にならず。


その体験は、本当に人生で一度きりだったのですが、

ちょうど、世の中の風潮と、この体験が同じ時期だったこともあって。私は学んだんです。


本当の、溢れるような感謝はきっと。

『言葉にならない』

感覚なんだと。

よくドラマで、誰か最愛の人が亡くなった知らせを受け、駆けつけた恋人や家族が、白い布をかけられた亡き骸にすがりついて、大声あげて泣くシーンがありますが。
本当ならきっと。あんなにオイオイと声を出せないんだろうなーと。、身体が震えて、息ができなくて、ってなるんじゃないかなと想像する感じに似ています。


だから、当時の私はやたら意固地になって、軽いタッチで、感謝感謝と言い合うのは好きじゃないと
わざわざ意識的に思ってしまったんですね。


で!

月日は流れて。

今は。感謝のワークというのに参加しています。


きっと、やっと本当の感謝に近づいてこれたんだと思います。

このグループで皆さんが毎日投稿される文章を読んで、私も今日の感謝を見つけては書く、を、繰り返していくと。

先に書いたとおり、人生に明るさが増すのです。

 感覚で、フラットになれるのです。


それはどちらかというと、数十年前の、あの不思議で劇的な瞬間の感覚では無く、

じんわりと、ポカポカと日向ぼっこのような気持ちに近いのです。


いろんな方が、いろんな方法で、感謝を継続的に書き綴ることの良さを伝えています。

Youtubeでも、メルマガでも、
昔の伝え方の感じではなく、

さりげなく、あ、ここにも。やっぱりそうだよね、って所々で発見しては、そうそう💡と、忘れかけてる感謝の種にまた気づかせてもらってる。

そんな感覚です。

どこに意識があるか。
何を前提にして暮らしていくか。

本当に自分にとって大事なものに気づくには、

日向ぼっこのような感謝も、
劇的で映画のワンシーンみたい感謝も、
どちらもが土台になり得ます。


楽しく生きることの土台づくりを、お手伝いしたいと、いつも思っています。

いつか、私を通して知り合った皆さんともグループを作って、感謝のワークを皆んなで続けられたら楽しいと思い始めています。

今はまだ意図的にでも「感謝の練習」をして、いつのまにか誰かを貶めたり、自分を責めたりのない、中庸の体感覚を自分のものにするまで続けます。


今年は辛いニュースからの、スタートでした。

変わらない日々でも、当たり前がそうでも無いかもよ?と気づける瞬間はたくさんあったと思います。

皆さんも今日から、ノートにちょこっと、ありがとうを書き溜めていくのはいかがでしょう?


寒さに向かうなかで、ポッと火が灯るかもしれないですよ。春まで続ければ、日向ぼっこがあなたの中で起こるかもしれません。

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