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はじめましてたこせんちゃんです

はじめてまして!たこせんちゃんです!

地方で教員をしています。教員になってから5年が経ち、6年目を迎えようとしています。若手と呼ばれるのももうすぐ終わりですかね。

今日からできるだけ毎日ノート書いていこうと思ってます。これは私の日々の挑戦と苦悩の記録です。

教育書とかにある普遍的で使い古された話題ではなく、実際に私がやりたいことや、やってみたこと、やってみて思ったことなどを記録していくので現役の教員のみなさんや教員志望のみなさんにリアルな現場をお届けできるかと思います!

中には「そんなことやったらダメじゃないか!」ってこともあるかと思いますし、やってみて失敗することもあるかも知れません。もしそうなっても優しくしてください。傷つきやすいタイプです笑

ということで初日の今日は『たこせんちゃんってなにもの?』というテーマでお話ししていきますね。

たこせんちゃんてなにもの?

簡単に私の経歴を説明しますね。自己紹介です。


地方大学の教育学部で小学校教育を学び、小学校教員になりました。

1校目は、全校30人の極小規模校でした。
1年目に担任したクラスは2年生3人。
とっても優秀な3人だったので、学級経営で困ることはなかったのですが、初任者研修担当の先生が厳しくて挫けそうになる毎日でした。

2年目は3・4年複式。体育主任。情報主任。安全教育主任。などなど初任2年目にやる仕事の量であってる?と何度も挫折しそうになりながら一年乗り越えました。ちょいちょいパワハラしてくる校長を何度も毒殺しようと思っていました。

3年目が5・6年複式。1番辛い一年でした。このことはいずれ触れたいと思いますが、クラスでいじめがおきました。周りの先生にも、私の指導力不足を責められ、辛くてなんども楽になりたいと思いました。それでも休まず行った私は偉い。

そして、異動し2校目。
もう1年がんばったら辞めよう。そう考えていたこの時期。救ってくれたのは4年目にもった5年生子どもたちと優しい学年主任でした。(このこともいずれ詳しく)

世界がコロナ禍に包まれた5年目。
持ち上がりで6年生。そして学年主任となり、1年やり切りました。この1年が教員を続ける自信につながりました。


私を救ってくれた子どもたちと離れ、新しい挑戦となる新年度。またしても6年担任学年部主任となりました。そして、挑戦の一つとしてnoteを書くことにしました。新しい教え子との挑戦と苦悩の日々を記録に残していくことで、自分の未来のためそして、同じように悩む同志のためになればいいと思っています。

さて、1年間毎日続けられるのか!?笑
飽きたらやめまーす笑

今日はこの辺でー!

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