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福祉と医療の連携とは?

 最近、福祉と医療の連携が重要ということが言われる。
 まずは、高齢者福祉においては、地域包括ケアをめぐる議論の中で必要な医療や福祉を受けながら、住み慣れた地域でその人らしく生きることを目指すという意味でつかわれる。
 その他にも、医療的ケア児への支援や、医療を必要とするとされる子どもへの支援の文脈でつかわれる。
 介護職や保育士、ソーシャルワーカーなどの福祉職が、その人の状態を的確に把握し、その状態を医療職(医師や看護師)に適切に伝えていく。受診が必要と考えられる人の受診を援助していく。多くの場合、そのような実践のことが、医療連携とよばれる。

 しかし、私は福祉と医療の連携という実践をこれらのみに限定してはならないと思う。
 福祉と医療の連携を前段で述べたような実践だけに限定する視点には、大きく次のような視点が欠けていると思う。
 それは、医療につなぎさえすれば、医療がその患者にとって適切な治療をするとは限らないということである。医療関係者を信用するなと言うわけではない。医療につながることによって、適切な治療を受け、命が助かったり、疾病の治癒や回復をする人が多くいることは確かであろう。しかし、現在の医療が、いつでもどこでも確実にそれらをなしとげているかというと、そうではない。とりわけ、精神医療の文脈では、不適切な薬物治療や誤診、過剰な身体拘束が、少なからず行われていることが指摘されている。残念ながら、医療に関することを医療だけに任せていると、必ずその中で適切な治療を受けられなかったり、不適切な治療を受けることで苦しむ人が出てくるのである。これは、医療への批判ではなく、現実に起こりうることである。

 具体的に、例えば以前筆者はホームレスの支援活動をしていたことがあった。その時にあるホームレスの方から、数日前から身体の一部が麻痺して動かないという相談を受けた。そして、責任者の方に相談の上、救急車を呼び、病院へと同行した。医師は、私が同行したその方がホームレスというだけであからさまに見下したような口調で、「この人と話しても話が通じないから、あんた説明して」と私に言った。本人とはまともに話そうともしなかった。
 私は医師に、彼が数日前から身体の麻痺があること等を伝えると、その医師は「分かった。とりあえず検査をする。」とだけ言った。私は、その後、病院の待合室にて、その方の検査が終わるのを待っていた。しばらくすると、また診察室に呼ばれ、こう告げられた。「たぶん。パーキソン病だと思います。そうすると、こんな夜の救急では診療できないから後日来てください。」医師はそう言った。私は医師がそう告げたことを、支援団体の責任者に伝えた。そうすると、責任者は「脳梗塞の可能性もあるのでは?」「そのことを医師に伝えた方がよい。」と言った。それを伝えたところ、医師は、「確かにその可能性もあるけれど、この病院には、脳梗塞かどうか調べるための機械がない。」「別の大きな病院に行って。」と言った。「この病院ではもうこれ以上の処置はできない。」とだけ言って、私とその方は、病院の待合室に再び戻されてしまった。その後、私はその方とタクシーで別の大きな病院に行き、そこで検査等を行った。その方は脳梗塞ではなかった。
 あの日の出来事を私はいまだに忘れることができない。残念ながら、医師によっては、相手がホームレスであるというだけで、脳梗塞という生死にかかわる病気の可能性があるにもかかわらず、まともに診療をしようとしない医師がいるのである。(すべての医師がそうだということではない。)

 すべての医療関係者が、私があの病院で会ったような医師ばかりであるとは限らないだろう。医師や看護師の中には誠実な人は多くいるであろう。しかし、現に医療を医療だけに任せていては、それが適切には機能しないのである。

 私はここでホームレスへの医療という例を挙げたが、その他にも福祉サービスを利用する人の医療をめぐっては様々な問題がある。上記では、身体医療の例を挙げた。しかし私は、身体医療以上に精神医療の分野で、より問題は大きいと考える。

 近年、保育所や幼稚園、小中学校において、発達障害と診断される子が増えている。その子たちが医療に繋がれてADHDや自閉症スペクトラム障害などの診断を受ける。多くの場合、それは障害が分かってそこから適切な療育や対応が可能になるということで、よいこととして語られる。しかし、そのような診断を受けた子ども達が医療に繋がれると、そこで服薬を開始することが少なからずある。5才6才、あるいはそれよりもっと小さい幼児の子ども達がエビリファイやリスパダールといった向精神薬を処方されていることに危険性を指摘する声が、子育て支援の場からあがっている。(安藤,2021)  (井艸,2022)もしかすると、その子に合った保育や養育の環境があれば、それらの薬が必要ないかもしれない。もしかすると、その子の親が医療以外の場で、子育てのことを相談することが出来れば薬を服用すること以外の解決の方法が見つかるかもしれない。それにもかかわらず、将来その子にどのような影響があるか分からない向精神薬の処方がなされているのである。そのような状況が、子どもへの精神医療をめぐっておきているのである。
 私は、もし、保育にたずさわる人や療育にたずさわる福祉の仕事をしている人は、このような問題を医療の問題であり、自分たちには関係のないことと言って切り捨ててはならないと考える。

 障害者福祉の現場においても知的障害者の入所施設で、強度行動障害のある利用者をおとなしくさせるために過剰な向精神薬の処方がなされることはありうる。さらには、障害者福祉から医療に繋がれた利用者がそれらの処方によって、健康を損なったり、逆にしんどさをかかえたりすることがある。そして実際にそのような誤った福祉の実践や医療行為により命を失った方もいる。(佐藤,2018)

 私は薬がすべていけないとは思わない。精神障害者の中には、かつてよりも副作用の少ない薬の登場により、生活のしづらさがより和らいだ人が多くいる。薬を飲むことによって楽になったり、生活のしづらさが解消していくことは実際に多くあることである。しかし、そのような形で精神医療が機能するためには、医療職に対して、多職種が積極的に発言していく必要がある。そして、それは薬の処方や治療の内容に対してもなされるべきであると考える。

 高齢者福祉や高齢者介護の現場においては、認知症の薬や抗精神病薬によってかえって高齢者が不安定になってしまうことがあるとのことである。そのような時に、生活相談員が医師や看護師に相談して、処方を変えてもらうことで状態が落ち着くことがあるとのことである。
 
 また、単に処方を変えることを医師に提案するだけではなく、場合によっては環境調整や周囲が変わり方を変えることで薬が不要になることもある。高齢者福祉の分野ではユマニチュードという実践があり、その人を尊重した関わり方をすることで、その人が精神的に安定した生活を送れることができるようになり、減薬や断薬が可能になることがあるとのことである。また、保育やスクールソーシャルワークの文脈でも、大人が子供とのかかわり方を変えることで、薬が必要なくなることもあるとのことである。

 医療の問題を、医療の問題だけにしてはならない。
 医療関係者を取り巻く福祉職が、医療が必要である子考える人を、医療につなぐことや、医療が必要な情報を伝えるだけが医療との連携ではない。今必要とする医療連携とは、医療職以外の職種の人間が、医療職に対して、その人の意思や生活を踏まえ、その人がどのような医療を必要としているか(あるいは必要としていないか)について、交渉することである。また時には、医療によって対応している様々な問題(精神症状や慢性的な身体症状)などを、生活の問題として考え直し、それらの改善を図っていくことで解消していく方向性を探っていくべきではないかと考える。医療(とりわけ精神医療)の中で薬の処方によって対応されている問題が、実は薬の服用以外の方法で対応が可能なことがあるかもしれない。それらの問題に薬が処方されてしまうことにより、その副作用で苦しんでいる人もいるかもしれない。
 もちろん、最終的にその医療を提供するのは医療職である。しかし、どのような医療を必要とするかを医療職だけで決定することは、時にその人が必要な医療を受けられなかったり、不適切な医療を受けることに繋がることもありうる。

 患者のためとはいえ、医療職以外の人間が、医療職の行う医療行為に何かを言っていくことは、時として医療職との対決という形になってしまうこともあるかもしれない。もちろん、そのことによって医療職との関係が切れてしまうのはまずいだろう。医療職との間で信頼関係は必要になるだろう。しかしである。医療職との信頼関係を大切にしつつも、それでも、医療に必要なことを言っていく。それこそが福祉と医療の連携において重要なのではないかと考える。

<参考文献>

安藤希代子(2017)「子どもへの向精神薬処方を地域の問題として捉えなおしてほしい」『福祉労働』170:71-74.

井艸 恵美(いぐさ えみ)2022.03.08「低年齢の「発達障害」、薬で隠される子どもの危機 独自調査でわかった「4歳以下」への投与実態」東洋経済ONLINE

https://toyokeizai.net/articles/-/535851

佐藤光展2018.12.18『精神科の「隔離と薬漬け」の末に亡くなった、38歳男性と両親の無念』現代ビジネス

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58808

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