爪を切り、回想旅行する


爪を切る行為に個性は存在するのか。

私は先ず、普段机の上に置いてある発想や構想を
書き殴るためのノートを真ん中から ふぁん と開き
爪切り片手に爪を切る。

慣れた手つきでものの数十秒で終わらせる。
足は面倒臭いから気分次第では切らない事もある。
手だけは見栄えもあるものだから要所要所で切る様に心掛けている。
足は痛みが生じたら切るようにと定めている。

その為、切るタイミングがまちまちであるかと言えばそう言う事ではない。

足を切るタイミングで必ず、手も切るように決めている。
だからと言って今日はメインが足だから
ついでに手もと言う段取りではなく、
足を切るから手も切るものだろう。だろう、と切る。
かと言って今日は足がメインイベントだから、
足を切って手を切ろうと言う順序ではない。

まぁ、言った通りメインイベントは足なのだから
セミファイナルを手の爪とし、手→足と
メインイベントへと進めていくと解釈して欲しい。

だが、忘れてしまう事もある。

セミファイナルの試合内容に満足しチャンネルを変え
次の日の足の痛みで気づく事がある。

注意力散漫と言うか、直ぐ、物思いに耽け
思考し夢想し回想し気づけばお風呂に
浸かっていたり、シャワーを浴びていたり
シャンプーをしたかも忘れキシキシになるまで
シャンプーを繰り返したり、
コンビニに向かっていたり。

一度、自宅玄関で鍵が開かないと暫くPASMOを
かざしていた事もある。
我に返って笑いが込み上げる。

何かの病気なのかなと思う事もある。

私は多動性なのだろうか?とも。

それも物語を作る事を知ってからか、
それ以前からかも記憶が曖昧である。

話は戻り、わかり易く言うと手は2回目のタイミングで
足を切るって感じかな。手、手足、手、手足

皆さんは、どうなんでしょうか?

今日も切りながら気づけば耽って回想旅行。

同棲していた以前の彼女はお母さんみたいな人で
伸びてる爪を見ると「爪伸びてるよ」と指摘した。
風呂から上がって泡が残っていると
「泡ついてるよ」と拭いてくれる事もあった。
(あら、やだ、恥ずかしい)

私は切るとそれを見せつける「はい」と
お母さん見てと言わんばかりに
自慢気にそれを見せつける。

決まって苦悶の表情で「切りすぎでしょ」
と返してくる。

労働系の仕事をしていると爪に垢が直ぐ溜まる。
仕事終わりに爪の垢を確認し、頑張った証の様で
一瞬は誇らしくもなるのだが決まって煩わしいと
言う感情がその後やってくる。
それもあってか自衛隊時代ぐらいからは
爪は決まって深爪、いや
超深爪で仕上げる。

子供の頃は切り過ぎると痛みを感じたが
気づけば慣れ定着し、一切の痛みも伴わなくなった。

子供の頃は深爪の友達を見ると痛々しかった。
何故にこんなに切るんだろうと思いながら
中途半端に切り揃えた自分の爪と比較し見比べた。
でも、人間はいつからか趣味趣向も変わり続けるものだと
こう言う事を思考していると尚更、感慨し

気づけば違う乗り場からまたも回想旅行へと旅立つ。

趣味趣向は変わるものだと言うけれど、
上京してから苦手だったカップ麺や汁物が食べれる様になったな。
なんでだろうな。何が一番好きかな。
小学から仲の良かったナガちゃんと言う友達が
学校帰りによく家に訪れた。

来る度に「腹減った」と言って食べ物やおやつをせがんでくるのだが、
その日、たまたま家に食パンしか無くて
冷蔵庫にあった、おたふくソースとマヨネーズを
おもむろに掛けて食べさせるとたいそう喜んだ。

「なにこれ、むちゃくちゃ美味しい! 俺も家でやろう!」

たこ焼きやお好み焼きでお馴染みのタッグであるのに
唯、それが食パンに変わっただけなのに。
何故に初見の様な顔で彼は大喜びしていたのだろうか。
余談だがナガちゃんは決して貧乏な家庭では無い。

今日はその様な所で終着駅に到着。

改札に向かう道中、ナガちゃんも確か
子供の時から深爪だったなと思いながら

「男は大体深爪だろ」

僕は心の中でそう呟いていた。


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