見出し画像

戯れ言から真実がはじまるものだと思ってる

私が好きな漫画に,明治時代を描いた「るろうに剣心」があります。

人斬りをひたすら繰り返してきた剣客の「剣心」がある時期をきっかけに「殺さず」の誓いをして「るろうに」(放浪者)として旅に出たものの,行く先々で次第に大きな戦いに巻き込まれていく・・・というストーリー。

その漫画の第一巻で剣心が出会ったヒロイン・薫(かおる)は自ら開く道場で「剣は人を殺めるものではなく人を活かすものだ」という理想を掲げます。ですが、それは当時の人にとっては遠い理想。明治時代を生きる当時の人からは「寝言」だと揶揄されるのです。

そのような文脈で主人公の剣心が言った台詞がこちらです。

『剣は凶器 剣術は殺人術
 どんなきれい事やお題目を口にしてもそれが真実
 薫殿の言ってる事は一度も己の手を汚した事がない者が言う 甘っちょろい戯れ言でござるよ
 けれども拙者はそんな真実よりも 薫殿の言う甘っちょろい戯れ言のほうが好きでござるよ』

◇◇◇

何か新しいことをはじめようとするときには誰かしらから文句が出るものです。

非現実的だよ。
夢物語だ。
その行動はやめたほうがいいよ。

そういう文句を言われることで,夢や行動を諦める人が多いのも事実。人は,他人の声に対して案外脆いものなのです。

私はもともと大学では日本文学を専攻していて,法学には縁がありませんでした。ですが,あるとき急に法学の面白さに目覚め,「そうだ,弁護士になろう」と思い立ったのです。

思い立ったときにはやはり周囲からの反対や「無理だ」という声がありました。その声が浮かぶのも無理はありません。当時はロースクール(法科大学院)制度もなく,司法試験は合格率3%というかなりの難関でしたし,10回以上落ち続けて人生を棒にふる人もいたという話もよく聞いていたからです。

でも,私には根拠なく「できる」という直感がありました。何より,法律を学ぶことはこれまでのどの勉強よりも楽しいことでした。

あの当時「そうだ,弁護士になろう」という私の声は周囲にとっては甘い戯れ言でした。ですが,戯れ言を吐かなければ今はなかったのだと思います。

◇◇◇

医療界のアイドルになろう!最近になってそう宣言した女性の理学療法士がいます。名前は河村由実子さん。

彼女のnoteを読んでいただければわかりますが,高齢化してこれから大変になっていく日本の医療・介護の問題を真剣に考えている人です。お話させていただくと,常に「誰もがハッピー」になれる世の中であるためにはどうすればよいかを考えていることが伝わります。

医療や介護の現場を明るくしたいというのは,彼女のたっての希望でありました。

その河村さんが思い立ったのが「医療界のアイドルになろう」という構想だったのです。

確かに,彼女の持ち前の笑顔は人を元気にします。もともとの明るい,そしてユーモアのある性格が周囲を笑顔にすることは間違いないでしょう。

ですが,一方で,こういうことを宣言すると,必ず「アイドル?何言ってるの?本気?」という世間の声が出てくるものです。
そういう世間の声は,彼女に「理学療法士としてただ働くこと」や「ただ『まっとうに』生きること」を求めます。

そういう意味で「医療界のアイドルに」は戯れ言なのかもしれません。

◇◇◇

ですが,世の中を動かしてきたものはだいたいが最初は「戯れ言」だったのではないでしょうか。

「剣は殺人剣」が真実で「人を活かす剣」が戯れ言であった時代から,世の中は大きく動き,殺人剣が禁じられる今の世があります。時代は変化するということを忘れてはいけません。

時代だけではなく,個人はもちろん半径5メートルの世界も時とともに大きく変わっていく。そのスピードがSNSの発達によって早まっているのが今の世の中だろうなと思います。

すべては「戯れ言」からはじまるとすれば,「戯れ言」だと批判する人が出てくるのはもはや当たり前のことです。そして,「戯れ言」が真実に変わった瞬間,人はあとからもともとわかっていたかのように「やっぱりそうだと思っていたんだよな」としたり顔で言うものなのです。

いつの世も「戯れ言」は批判されながら真実を変えてきたのだと思います。
だったら,私たちがやるべきことは,世間の声に流されず「戯れ言」を「真実」に変えていくために淡々と歩むことだろう。
そのように最近は考えています。

ーー
私のTwitterはこちら。
noteのヒントになるようなことをいつも呟いています。ブログやnoteのネタを探している方は気軽にフォローしてください。





この記事が参加している募集

コンテンツ会議

お読みいただきありがとうございます!スキやフォローをしていただければ,それだけですっごく励みになり,また書こうという気力が湧いてきます。