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お金のために働くことは悪いことなの?

新年度。
いよいよ仕事がはじまった,という人もいるでしょう。

これから働くうえで,こういう疑問にぶち当たる人もいると思います。
私は何のために働いているのだろう

皆さんは,何のために働いていますか。
これから働く人は,
何のために働きたいと思っていますか。

人のためでしょうか。
やりがいのためでしょうか。
夢のためでしょうか。
お金のためでしょうか。

働いていると,会社でこういうメッセージを聞くことがあるかもしれません。
先輩や上司から直接言われることがあるかもしれません。
「もっとやりがいをもってやれば楽しいぞ」
「人のためにと思って働けばいいんだ」

私の感覚では,
お給料が安かったり,
長時間労働が蔓延していたりすればするほど,
つまりは労働環境が相対的に劣悪であればあるほど,
こういった「やりがいメッセージ」が蔓延しているような気がします。

やりがいのために働く。
夢のために働く。
それは甘美な言葉であるように聞こえます。
でも,その言葉は,空虚に感じられる場合もあると思うのです。

池井戸潤さん原作の「下町ロケット」を覚えていますか。
TBSでドラマ化され,大ヒットしました。

作品のなかで,主人公は「仕事」論を次のように語ります。

「俺はな,仕事っていうのは,二階建ての家みたいなもんだと思う。一階部分は,飯を食うためだ。必要な金を稼ぎ,生活していくために働く。だけど,それだけじゃあ窮屈だ。だから,仕事には夢がなきゃならないと思う。それが二階部分だ。夢だけ追っかけても飯は食っていけないし,飯だけ食えても夢がなきゃつまらない。」

このセリフの文脈は,どちらかといえば「夢があったほうがいい」というものです。
でも,一方で,このセリフは,
「生活と夢の二階建てで,一階建ての生活の部分がしっかりしていなければ夢を抱きようがない
という当たり前の事実を端的に指摘しているようにも思えるのです。

私は,夢ややりがいを前向きに語れるのは,
一階部分の労働条件(不足を感じない給与や適正な労働時間,過重なストレスを感じない職場内の円滑な人間関係等)が,
しっかりと確保される場合だと思います。

一階部分がしっかりしていなければ,二階部分の夢ややりがいを見据える精神的余裕がないのは当然。
まずは,自分の余裕のある生活が確保されてこその夢ややりがいなのであって,
夢ややりがいについて,
「そのためには一階部分を犠牲にしてでも頑張れ」
という文脈で語られるとすれば,
その語り方には,私は違和感を禁じ得ないのです。

このコラムの表題に書いた
「お金のために働くことは悪いことなの?」というテーマ。

結論を言うと,全く悪くありません。
自分とその家族の生活の安定と生活の質の向上のために働くというのは,
実に自然で素敵な目的だと思います。

その目的が満たされて,
自分のなかに精神的余裕ができてこそ,
次に夢ややりがいについて考えることができるのだと思います。

私は弁護士です。
弁護士は「社会正義を実現」することを使命としているようです(弁護士法1条)。
でも,だからといって「やりがい」だけで働く気はさらさらありません。というより,やりがいだけで働けと言われても,嫌です。断ります。すみませんが,私は聖人君子ではありません。
一階部分の労働条件がちゃんと整っているからこそ,
夢ややりがいについて考えることができるのです。

「やりがいをもとう」
「お客さんのために働き,喜んでもらえることは幸せなことだ」

確かにそういうメッセージが必要な場面もあるでしょう。
ただし,そのメッセージが劣悪な労働条件(低賃金,違法残業など)のもとで発せられる場合,私は「それはちょっと違うんじゃない」と言いたくなります。

「好きを仕事にしよう」
「やりがいが大事だ」
「仕事は楽しい」
そういうメッセージが溢れる世の中だからこそ,

私はあえて,
「お金や生活のために働くことは自然で素敵なことです」
と言っておきたいのです。

人はパンのみにて生きるわけではないけれど,
パンを自由に食べられる状況だからこそ,
パン以外のことを考えられるのだと思っているので。

#コラム #仕事 #下町ロケット #スタートライン #コンテンツ会議

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