『ブラック・ウィドウ』


  言ったって"エンタメ作品"じゃないですか。僕は今年に入ってスパイダーマンを観るためにMCU作品を一から鑑賞したクソにわかアベンジャーズ見習い、つまりアベンジャーズで言うところのファルコンぐらいのファンなんですけど、エンドゲームでは半ベソかいてたし、ノーウェイホームでも少し泣いたわけで、まぁでも感想とか、んな野暮なこと書かなくてもいいじゃねぇかと思いつつ、今作を観て結局また泣いちゃったので筆を取るに至った次第です。

  MCU素人だった僕ですが、実はこの『ブラック・ウィドウ』だけはずっと観たいと思っていて、コロナのゴタゴタや公開延期が無ければ劇場で観たかった作品でした。スカーレット・ヨハンソン、あなたが好きだからです。有り体に言えば、僕はスカーレット・ヨハンソンが好きで、スカーレット・ヨハンソンが出る作品ならどんなクソ映画でもいいから観たいと思ってしまうのです(『her 世界でひとつの彼女』の声だけでもニッコリです)。なので、序盤からパーカー姿の彼女を見て「良い……!」、多様なアレンジの髪型を見ては「しゅごい、何でも似合っちゃう……!」と頬を赤らめました。

  そんなわけで、スカーレット・ヨハンソンで白米を食う気持ちの悪い成人男性の私ですが、ここまで来たら物語にも言及しようかなと思います。物語の核は三つですね。"家族の再生"と"過去への贖罪"と"水戸黄門(勧善懲悪)"、この三つが今作のストーリーの柱です。

  勧善懲悪についてはもう言うことないです。ヒーローには敵がいて、とにかく殴ってバイバイキンです。ただ、ある意味で勧善懲悪と言えるのは、二つ目の過去への贖罪です。我々観客はどうしてもカメラの視点から観るのでキャラクターに肩入れしてしまいますが、ナターシャもエレーナもまぁ殺人犯なんですよね。ある程度は大目に見ても、ドレイコフの娘を爆破したのは中々のギルティ、そしてそれが彼女自身をずっと苛み続ける罪悪感の根っこです。子供時代を奪われ、その後の自由も奪われた自分が、今度は奪う側になってしまった。その被害者の女の子が敵として向かってくる、これはキツい。ガラス張りの個室に閉じ込められたアントニアと部屋の外から助けようとするナターシャ、ガラスが鏡の役割を果たし、己のトラウマと向き合う闘い(=贖罪、かつ救済)が始まるのです。

  家族の再生については、「擬似家族だし、別に偽物じゃん、血も繋がってないんだし。でも、結構好きだったよ」ってやつです。このパターン七億回は見ましたが、七億回泣いたので、それも含めて様式美ですね。終盤、飛行艇が撃墜していく中、ご両親が飛行機で娘たちを迎えにいこうとしてましたが、ナターシャとエレーナはそれぞれが為すべきことを成し遂げ、その足で地に着く(映像としてはパラシュートで地上に降りる)演出が良かったです。娘の成長、巣立ちを見守る親の姿は何度見ても……二人の母親がいたからナターシャは強く生きてこられたんだよなぁ……蛍の光がまるで追悼のようでそれでまたヴッとなりました。

  もう一つの家族、アベンジャーズを大切に思い、繋ぎ止めようとしていたナターシャ。そんなナターシャが世界を救うために命を落としてしまったことの行き場のないやるせなさを改めて噛み締めました……ホークアイてめぇこの野郎!!いやいや、彼だって色々大変だったし、2chではボロクソ書かれてるし、これ以上責め立てるのは酷か……と考えていたら、エンドクレジットで抹殺対象になっててうまいことオチたなと思いました。

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