『ザ・ピーナッツバター・ファルコン』

【失われた関係性と、新たな"擬似家族"】

  ザック、タイラー、エレノア、この三人の共通点は家族を失くしていること。ザックは家族に捨てられ、タイラーは自身の過失で兄を亡くし、エレノアは夫に先立たれている。ザックとタイラーは、それぞれが元いた環境から逃げ出し、お尋ね者コンビとして旅を始め、絆を深めていく。タイラーは、ザックとの旅の中で、兄と過ごした日々を思い出す。兄の死後、仕事も上手くいかず罪を犯して逃亡する旅路の中で、ザックとの間に生まれた友情、擬似家族関係が、タイラーの心の支えになっていく。

  ザックは、身一つで施設から脱走し、タイラーと出会う。ダウン症のザックが、施設のスタッフから逃げながら、ひとりで生きていくのはあまりにも無謀である。その無力さは赤ん坊の如く、ブリーフ一枚の姿によく表れている。施設の柵を抜け出した時に、彼は新たに生まれ変わったのだ(石鹸でヌルヌルなのもそういうことか・・・?)。この世に生まれ落ちた彼は、生きる術もなく、放っておけばすぐに絶命する。そんな時に出会ったのがタイラーだった。タイラーがザックに泳ぎを教える姿は、映画表現で言うところの兄弟や父子の関係性を指し示す。現実的なことを言えば、この二人の関係性は友情と呼ぶのが自然だろうが、タイラーの境遇、"ブラザー"という呼び方(これはアメリカでは割とよくあることだが・・・)からも、家族的な絆の深さが見て取れる。ザックは親に見捨てられ、施設では老人に混ざって生活し、自分自身の在り方を見失っていた。だからこそ、彼は強さを欲し、それによる他者との関係性を求めた。ダウン症であることを前提にせず、ザックの為人(ひととなり)をそのまま受け入れたタイラーとの出会いが、ザック自身の弱さをリングの外まで投げ飛ばした。

  エレノアは、真面目で、規範やモラルに忠実な女性だ。大学卒であることやボランティアに積極的に参加していることからもその人柄がわかる。その真面目さが、コンプレックスとして彼女を苦しめる。施設側のザックの扱いを不当に感じるも、エレノア自身のザックに対する接し方もまた、施設の上役と実質的に同じであることに、彼女は後ろめたさを感じ続けていた。生来の真面目さからか、ザックを過保護に扱うエレノアは、この作品において"母親"のロールプレイングを果たす。一人で身の回りの世話ができないザックを助ける彼女は、施設のスタッフというよりも保護者としての役割が大きい。もちろんザックとエレノアは友人関係だが、擬似家族を表すために、真面目で世話焼きな女性の枠にエレノアが収まるのだ(タイラーとエレノアが二人きりで打ち解けるシーンで後ろから朝食をせがむザックの構図はまさしく家族的である)。

  タイラーは、自身の不注意により尊敬する兄を亡くしている。半ば自暴自棄な彼は、同僚の漁網を燃やし、逃げ出して、旅を開始する。タイラーは、物語中ずっと元同僚のダンカン達から逃げ続けるが、この構図は狼に追われる羊のようだ。ザックとタイラーは、"羊の皮を被った迷い人"とジャスパーに例えられ、ザックのみが洗礼を受ける。ジャスパーは、作中で神の使者とも言えるような役割を果たしている(※Jasperは英語で碧玉を意味し、英語圏の男性名でもある。パワーストーンの意味としては、精神的な安心感、安定感をもたらし、感情を落ち着かせ安定させてくれることで、考えや行動が堅実、着実になれるよう力を貸してくれると言われている)。
  タイラーの視点からすれば、ザックは紛れもない善玉である。ザックから見れば、タイラーも善玉で良い奴なのだが、彼はそれを自己肯定することができない。兄を死なせたことによる自責の念と、罪を犯したことによる良心の呵責から逃げ続けているからだ。だからこそタイラーは、ザックにヒーローであり続けて欲しいと願い、応援している。群れから外れた羊が元の場所に戻るためには、狼を振り払わなければならないが、タイラーは終ぞその機会を捕まえることが叶わなかった。最終的に彼は狼に報復される結果となってしまう。(そもそもダンカン達が怒るのはもっともだが・・・)

  プロレスの試合で、「ここはお前の場所じゃない」と罵られながらも、弱い自分に打ち勝ったザック、皮肉な形で罪を精算したタイラー、施設に戻らず旅を続けることを選択したエレノア。三つの火が消え、漂流の旅が終わった。ラストシーンで筏ではなく、車を運転するエレノア(妻・母)、助手席にはザック(子・弟)、後ろにはボロボロのタイラー(父・兄・夫)、血縁も続柄もなく、一見歪に見えるが、たしかな家族関係がそこに出来上がったのだ。

「ずっと逃げ続けてきたけど 君に会って離れられなくなって 僕に家(HouseではなくHome)ができた もう一人ではいたくない」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?