『あの夜、マイアミで』

【4人の黒人、考え方の相違と共通点は】

  この作品は4人の黒人の会話劇が物語の大半を占める。白人に好かれない売れっ子シンガー、リビングに入ることを拒まれる一流フットボール選手、タイトルを獲得したばかりのヘビィ級ボクサー、そして黒人の自由について訴え続ける活動家の4人だ。ヘビィ級王者になったカシアスを祝うため、彼らはモーテルに集まった。初めに言及しておくと、彼らの共通点は勿論、全員が黒人ということだ。細かい点については後ほど触れるが、ここで考えるべきは黒人であること=共通の悩みであるということだ。昨今の暴力的とまで言える人種差別問題を知る者であれば想像に容易いと思う。同じ苦悩を抱える友人、いわば同志である彼らだが、祝杯をあげるはずのモーテルの中で時間が経つにつれ、より険悪に、声を荒げて感情をぶつけていくことになる。
  まずは、マルコムについて。マルコムは黒人解放運動の第一人者であり、日々黒人の自由のために活動している。彼は、チャンプとなったカシアスをイスラム教に迎え入れることで、黒人の発言力を高めようという思惑があった。このことにカシアスは激昂するが、この4人の中でマルコムだけが持つ苦しみについて考えなければならない。作中に何度か現れるマルコムのコンプレックスである。スポーツ、音楽の世界で成功を収めた3人と違い、彼はあくまで一活動家、賃金によってではなく、恐らく献金、寄付などで生計を立てているのかもしれない。影響力が大きい人物がこの人種差別問題について発言してくれないことが、持たざる者のマルコムにとって酷くもどかしいのだ。人気があること、成功していること、人から尊敬されること、そういったものを備える人物にこそライトが当たり、大衆が目を向け耳を傾けることをマルコムは知っているのだ。彼がカメラで写真を撮る光景は、本来彼が大衆の側にいる性質の人間であることを思わせる。そんな彼が矢面に立ち、日々声を上げることは勇気ひとつで為せることではないだろう。実際に彼は暗殺され、亡くなる前も自宅に放火されるなど、肉体的かつ精神的にも虐げられ、追い詰められていたことが描写されている。そんな恐怖を背に感じながら、前へ前へと進もうとするマルコムが本当に望んだのは、恐らく黒人全員が当事者意識を持ってこの問題に参入することだろう。もっと言ってしまえば全人類かもしれない。自分たちの問題について話そうとしないサムに対して感情を露わにした理由が、物語終盤のマルコムの涙でわかる。彼は、ブラックパワーを友人達に強く、切に求めていたのだ。人々がコンサートを客席から楽しむのではなく、チャントをして、コールをして参加することが、マルコムの望む未来だった。
  ジムは、4人の中で最も人種差別問題から己を遠ざけている人物に思える。経済的成功を収めることで、自身の周りの人種差別問題は解決できると考えている風でもある。それが解決ではなく、黙認、あるいは逃走であることも彼は理解しているように思うが、マルコムからすればそれはとても寂しいことだろう。そんなジムだが、黒人の色の濃さについてマルコムと話す場面がある。ジムに言わせれば「色の薄い君(マルコム)がそこまで躍起になっていることがいまいち理解できない」のである。黒人と言っても一括りではなく、血筋のルーツによって肌色の濃さが違う。そしてその色が濃ければ濃いほど忌み嫌われるものであるとジムは考えているようである。この問題が簡単に白黒つけられないことを、彼はよく知っているのだ。そして、白人の側にも「差別をしないことで自画自賛する」白人がいることについてジムは言及する。物語序盤でもその一端は見受けられたが、彼の精神的な傷とそういった白人の存在が強く絡み合っているのだろう。人種が人の性質を決めるのではなく、人の性質が人種を区別することを、私たち視聴者に投げかけてくる。
  カシアスは4人の中で恐らく一番若く、他者の影響を受けやすい状態で物語が進行する。彼はマルコムにひとつの信仰のようなものを見出し、進むべき正しさを自分にも見つけようとする。だからこそ黒人解放運動の武器としてマルコムに利用されたと感じた時に激しく怒り、失望する彼の顔は若さゆえの不安定さを感じさせる。この人種差別問題に対して不勉強な私のような視聴者に、ひとつの視点を与えてくれるのがカシアスだ。最終的に彼はイスラム教徒となり、モハメド・アリとして生きていくことになる。
  サムの考え方は、情熱が伝われば分かり合えるというような内容のもので、マルコムには温いと言われてしまうかもしれない。一見お気楽な人物に見えるサムだが、この問題について苦心し、よく考えていることは、物語を追って知ることになる。全体の状況を見ることができる彼の歌で締め括られるこの作品は、マルコムの意志の継承とその未達成を強く印象づける。

  大阪なおみが虐殺された黒人の名前の入ったマスクを着用したこと。NBAチームが試合をボイコットしたこと。こういった出来事について無関心な人々、理解しようと努めない人々は少なくない。自分が的になる日が来るまで、無関心であるということにすら気がつかないかもしれない。多くの人が関係する問題に対して、考え、行動する人の数が少ないことが、人種差別問題の根底にある真のテーマであるように思う。白人にも黒人にも様々な考え方の人間がいて、その他にも色んな血筋の人間がいて、その中にも異なる考え方の人間がいる。多様であることを理解し、問題に参入する姿勢が、現在もなお私たちに求められ続けている。

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