『劇場』

【夢追い人のコンプレックスと、一人芝居】

  永田という男はろくにコミュニケーションも取れず、見た目で言えば、髪はボサボサで常に猫背、不安定を体現化したような存在だ。幸か不幸かそんな彼と恋仲になるのが、人望厚く、おおらかで人当たりの良い沙希だった。物語冒頭で精神的に酷く沈んでいた永田は、沙希のことを「女神」と称するほど、彼女の存在に救いを感じ、それでいて疎ましくも思っていた。それは、光が輝けば輝くほど、影を濃くする。社交的で、誰にでも好かれそうな沙希が、恋人として自分に優しくしてくれることが、永田には後ろめたく、何かに責め立てられるような気がしてならないのだ。上京して脚本家を志すも、結果が思うようについてこない。成功するための努力もせず、他者のタレントの眩しさに打ちひしがれる日々。自責の念から逃げるように、酒を飲み、よくも知らない女と繁華街に消える。永田のコンクリートブロックは増え続ける一方だった。

  沙希は、永田というろくでなしを家に住まわせ、傍若無人な彼の言動にも寛容で、物語中盤まで精神的に安定した人物に見える。そんな彼女だが、永田が一人で暮らし始めた頃を境に、変化を見せ始める。誰よりも彼のことをわかろうとし、歩み寄るも、朝方になったら背を向けて寝たふりをする永田に限界を感じ始めていた。どこか抜けている風な沙希だったが、恋人にずっと気を遣い、他人の心の機微を鋭く捉えていたことが喧嘩の場面で露わになる。無償の安心をくれる"お人形さん"のように見えていた沙希に図星をつかれ、八つ当たりをする永田の後ろから聞こえる「ごまかさないでよ」が耳に突き刺さる。「おかえり」と言っても「ただいま」と言わない永田。"かえってこない"ことに、沙希は苦悶していたのだ。

  追いかけられれば逃げ、居なくなればすがりつく。そんな矛盾だらけの感情を振り回す永田。沙希の前で、才能も何も持たないありのままの自分を曝け出すのが怖くて逃げ続けた永田だったが、友人達に「最後に笑えたらいいと思っている」と本音をこぼし、沙希の心が壊れて初めて、自分の愚かさを認めた。この時点で二人の関係性は破綻しているが、永田は沙希とアイドルのライブ映像を一緒に観ようと提案する。彼女がアイドルを好きだという描写は、それまでの物語で一度もなく、永田が愚かなほどに周りを見ていなかったことがわかる。歩み寄るには遅すぎて、沙希は故郷に戻ることを決意していた。

  沙希の心が壊れたのは、永田の横柄な振る舞いが直接の原因ではない。永田は脚本家を志すことに日々苦悩していたが、沙希もまた彼と同じ夢追い人だったのだ。女優を目指し上京するも、すぐに東京という街の壮大さに挫折を覚えてしまった。そんな彼女の心の支えとなったのが、他でもない永田だったのだ。変わらずずっと自堕落だった永田と反対に、生き方に焦りを感じて変化を求めた沙希。変わっていく自分に対する嫌悪感が、沙希の心を痛めつけた。欠点だらけの脚本を読みながら、永田と沙希の本心が綴られていく。二人が前に進むための変化が、二人の道を行き違わせた。舞台上で紡がれる夢物語の登場人物は永田ひとりだけ。演劇でできることは現実でもできる。いつまでもつかわからない舞台の上で、永田はまだ死んでいないのだった。

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