今も嫌いな言葉

自分には嫌いな言葉がある。その言葉は「陰キャ」と「陽キャ」という言葉だ。この言葉は高校生の時によく聞いていた。意味としてはハッキリ分からないが聞いてる感じだと「陰キャ」は大人しくてあまり目立たない人、「陽キャ」は活発で目立つ人を指す言葉らしい。高校時代は恐らくいつの時代でも活発でコミュニケーション能力が高い人、つまり「陽キャ」と言われる人がクラスの中心的存在になっていると思う。高校時代大人しく生きていた自分はいわゆる「陰キャ」だった。正直自分がどう言われようと無視していたので自分自身あまり気にしてはいなかったが、友達が「陰キャ」と呼ばれた時はさすがにイラついていた。なぜならこの2つの言葉は差別を正当化した悪口だと考えているからだ。「陰キャ」と呼ばれる人はやはり「陽キャ」と呼ばれている人たちからからかわれたり、嫌な仕事を押し付けられたりと散々な仕打ちを受けていた。「陰キャ」と呼ばれる人には大人しい人が多いゆえに仕方ないと受け入れる人が多かった。そして手柄は「陽キャ」のものになっていくのが高校生活の日常だった。「陽キャ」「陰キャ」を判断するのはほとんどが「陽キャ」と呼ばれる人たちだ。中には自ら「陰キャ」を名乗っていた人もいたが…。この「陽キャ」「陰キャ」という言葉は差別用語だと思う。大人しい、恥ずかしがり屋、活発、コミュニケーション能力が高い…人の個性を挙げだしたらキリがないが、大人しいから「陰キャ」活発だから「陽キャ」という分け方をするのは個性への侮辱だと思う。アイデンティティの否定と言ってもいいかもしれない。たしかに大人しい人は目立たないから目立つ人からしてみれば陰のような存在かもしれない。しかし縁の下の力持ちという言葉もあるように活躍する場所なんて人それぞれだし、輝ける場所が1つでもあるならその分野で目立つことが出来るので本当の「陽キャ」だと言えると思う。大人しい人がいないと成り立たない状況だってある。だから自分は「陰キャ」「陽キャ」で人を差別化するのは納得がいかないし、この言葉は差別用語だと考える。「陰キャ」「陽キャ」という言葉を使って人を分けているのはだいたい1人だと何も出来ない「陽キャ」と呼ばれている集団だ。たしかに群れることも必要だが群れることで差別をするのは人間として恥ずべき行為だと思う。この2つの言葉が無くなることはないと思うが「陰キャ」「陽キャ」と分ける人のことなんか聞かなくてもいいと思う。結局なにが言いたいかというと、周りから何と言われようと「個性」を大事にしようってことです。

長文になりましたが最後まで読んでいただきありがとうございました。

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