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this town don't feel mine

みんな何かに酔っている。

21歳はもう十分な大人で、私の周りの人はもっと大人だ。みんな自分なりの哲学を持って意見を発している。世間一般的によく言われる『人の軸』というものはその人だけで構成はされない。家族、友人、メディア、経験などの様々な意見を自分の頭の中に通して、『好き・嫌い』という感性をくぐり抜けて、構成されていると私は考える。私の場合、中学の頃に読んだ小説の影響が大きい。今でも事あるごとにその小説たちを読み返す。どこにいても自分の居場所だと思えない少女のお話、幼馴染のために自己を犠牲にしてまでも戦い続ける少年。彼らの生き方や想いが私の感性に影響し、私が何かを判断するときの基準や生き方の軸になっている。

一見そういった生き方は美しいように思える。しかし、軸というものは自分の思考に酔っているのだ。自分はこういう生き方しかできない、これが好きだ、これが私のアイデンティティなのだと根拠のない好みで決めつけている。それはお酒や麻薬に酔ったものがまたそれらに手をつけるのと一緒なのではないかと思えて時々嫌になる。

日本人は無宗教な人が多い。だから何を信じたらいいかを自分で決めないといけない。何が自分のなかで正しくて、正しくないか、自分にルールを作ること。みんななんだか酔っている。本当はキリスト信者でも無宗教でも何が正しくて、正しくないのかわからないのに。そして私も自分の思考に酔っている一人なのだ。

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東京という街は情報量が多い。

人一人の取り巻く情報量は服・年齢・性別・匂いなど思いつくだけで4つあるのに、一箇所に何千人と集まる。電車に乗れば広告の嵐だし、上を見上げてもビルが多い。

森と川しかなく、田んぼ周辺にはよくわからない虫が大量発生する田舎とはまた違う。不自然に増えた紫陽花が電車の中から見え、人工物の匂いが一面にする。

どちらにもいいところと悪いところがある。それは五感で感じるもの以外にも人が生み出す目に見えない流れもそうだ。

田舎者が東京に来てびっくりしたのは著名人にすぐ会えるところだ。Twitterでいいねやシェア数が毎回何百とつく人のイベントが頻繁に行われ、すぐに会う事ができる。電車では芸能人とまではいかないが、テラスハウスの〇〇さんを見かけたり。

有名な人たちはきっと私にはわからないほどの努力をしてきたに違いない。しかし、盲目的にその人たちに引き寄せられるのはなんだか危険のように思われる。あなたが少しでも著名人に近づけてもあなたはあなたで、何ももっていないのは変わらない。無意識に自分は偉くなったと思うのは大きな勘違いなのである。

戦前の天皇と官僚の関係も似ていた。官僚は天皇の地位に近づけば近づくほどいいとされ、誰もが階級をのぼりつめようと必死になっていたが、戦後天皇制は崩れ、天皇は象徴になった。官僚が信じていたもの、天皇自身が信じていたもの、すべて無くなったのだ。

東京の流れは台風のようだなと思う。

大量の情報や〇〇したほうがいいという誰かのよくわからない軸の乱気流が中心に人をどんどん運んでいく。みんなきっとそれが正しいと信じて、その流れに身を任せてどんどん中心にひきよせられる。でも、いざ中心にきたら何もない。あれだけ声を上げていた人もどこかに消えている。それは台風の目のように静かで穏やかで、虚しい。

そんな流れに日々もみくちゃにされている〜と思いながら必死に自分の場所を確立させているのだが、そんな日々でも心に留めている一言がある。

『this town don't feel mine』

私の軸となっている言葉の一つだ。

私はどこでもいけるし、どこでも生きていける。まだ”自分”をしっかり感じられたことがある街には出会っていないが、"ここ"がすべてではないことを頭の隅に置く事で少し呼吸がしやすくなる。この街でも私は私を感じにくいけど、全く感じないわけではない。他に自分が合う街がきっとあるはずと思えれば、もう少しこの街でも頑張ってみようかなと踏ん張れる。


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