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出会わない系人間が出会った人の話

1 美容師のナガオさん

中学卒業までは自宅近くのおばちゃん御用達系美容室に通っていた。
高校は電車で通学する距離にあったので、数ヶ月に一回ではあるが帰り道に自分で選んだサロンに通う、ということもできた。ただし親からもらった予算でなんとかするしかない。当時は美容室に置いてあるトリートメントもたいした種類がなく、ましてや地方の未成年がそこまで念入りにケアをする時代でもなかった。

大学も自宅から通えるところに決めた。市内中心部ではないが、そこそこの都会である。しかも高校時代とは段違いに自由度が増えるのだ。バイトもできるし、門限もゆるくなり、何より校則がなくなる。中学時代にはまりそのまま演劇青年を継続した私は、毎月発行のタウン情報誌で地元の学生演劇や若手の公演をくまなくチェックするのがいちばんの楽しみであった。
この雑誌、たまに別冊がついてくる。新しい商業施設の紹介だったり、行楽シーズンのドライブスポットだったり、この土地の名物であるラーメンMAPもあった気がする。そして新年度はというと、ヘアサロン特集。

ぶす、とは違うのかも知れないが明らかに芋くさく「ジャバザハット」のようにべったり重いビジュアルをわきまえ、大学デビューなどという考えはサラサラなかった。時代的には有名ダンススクール出身のジュニアアイドル達がポツポツ出始め、彼女たちは髪を明るい茶色に染めるのが主流であった。パーマは手入れできる自信がないがこれなら私もやってみたいと思い、大学の最寄り駅近くにあるその美容室に予約の電話をかけた。なお、この年に地方の大学生がケータイを持っていることはまぁない。

一階に、当時はめずらしかったパーソナルジムがあるビルの二階。本に名前が載っていたオーナーのナガオさん(文中は著名人を除き基本的に仮名。)は、職業柄相当の若作りをしたおじさん。スレンダーで背が高く、髪には白のメッシュを入れている。店内には輸入雑貨やセンスの良い花、最新スタイルのポスターが控えめに飾られ、逆に今までよく見かけた「頭にすっぽりかぶせるパーマネント用の電熱器」が見当たらない。スタイリストさんたちも全員が市内中心部の某ファッションビルで揃えてきたようなキメキメっぷりであった。

この店には結局卒業まで通い続けた。放課後の時間帯はちょうど余裕があるらしく、ナガオさんは出張で不在の時以外はいつも担当してくれた。眉毛の形がお地蔵さんのようなぼんやり柔らかく丸いカーブだったことを悩んで相談した時に理容資格を持つスタイリストさんを呼んでくれて、当時流行の角度があり意志の強そうな細眉に整えてもらったのが唯一の例外である。ぶすが頑張ったってどうせ意味が無いからと諦めていたメイクも楽しい、ダイエット目的のトレーニングも楽しい、服選びも楽しい。と外見へのコンプレックスは徐々に小さくなって行った。最後に上京のご挨拶に伺った時「…ぴーたんさん、ホントにきれいになったよね。最初はお互いどこから手をつけていいか解りません状態だったのにね。」ナガオさんはそう言って惜しんでくれた。この言葉があったからこそ思春期の女性が陥りがちな摂食障害や整形依存とは無縁なまま現在に至っている(カジュアルおばさんもいいがモードおばさんもいいぞ)。

サブスク全盛期の'20~に負けず劣らず、有線は平成の世でいい仕事をしていたと思う。どのシリーズだったかは忘れたが、店内で「ルパン三世のテーマ」がかかるタイミングがあった。ハサミを動かしながらナガオさんが呟く。
「いや~、俺20代の時は全然理解できなかったんだけど、峰不二子っていいよね~。この歳になって分かるよ。悪女って断然魅力的だよね」
20代の私もそう、分からなかった。だけどこの店での経験は、お前の見た目は最悪だ、と植え付けられた価値をくつがえす大きな存在だった。
女としての生き様は周囲の評判ではなく自分の意思で決める。もちろん外見以外も。今ならなってみたいって思うよ。


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