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伊藤 舞 / itou mai



幼さの残る自分とは反対に、大人っぽくて洗練されたような彼女との出会い。それが伊藤舞ちゃんだった。初めての出会いは東京の〈白日〉というお店。当時スタッフとして働いていた彼女はモデルのような凛々しい存在感で、私の心に圧倒的な憧れを抱かせた。


まさかの同じ年ということで、どのような道を歩めば強く美しい存在になれるのかと心底気になった。だから、舞ちゃんが長崎に引っ越してから彼女の話を聞いてみようと思ったのだ。


「そんな印象を持っていてくれていて嬉しい!けれど、最初はもっと自分に対してコンプレックスを抱いていたんだ」。


幼い頃から自身の容姿に自身がなかったという彼女。ある時、アクセサリーを身につけることで、自分のことを大切にできると感じたという。


「ジュエリーを身につけている時の自分がとても誇らしく感じたんだよね。ジュエリーをつけていないと自分じゃないと思うくらいありのままの自分でいられたの」。


好きなジュエリーを身につける日常は喜びに溢れていた。ファッションにも興味があった彼女は、社会人になるとアパレル会社の社員として原宿の店舗に勤めることに。服やアクセサリーが人の魅力を引き立たせる現場に充実感を感じていたという。しかし、果たしてこれが本当に自分のやりたいことなのだろうか、と迷う気持ちもあった。


その時に出会ったのが〈白日〉というお店だった。古道具や作家の作品などに囲まれた空間は、東京という土地ではひときわ時間の流れが独特に感じられた。はじめはお客さんとして、その後は縁があってスタッフとしてお店に関わることになった。そこでの時間が、自身のやりたいことに気づかせてくれたという。


「アパレルとして働いていた時から、心のどこかでジュエリーを作ってみたいという想いが芽生えていたんだけれど、〈白日〉で働いた時間がその気持ちをより明確にしてくれたよ。様々な展示の手伝いをさせてもらった中で、特に印象的だったのがyasuhide onoさんのジュエリーの展示。鉱物と丁寧なマクラメ編みによるジュエリーは、まるで地球の美しさをそのまま形にしたようだった。小野さんが手掛けるモノは小野さんにしか作れない。ならば、自分が作りたいモノは何だろう。そう考えた先に思い描いたのが、オブジェのようなシルバーアクセサリーだったんだ」。


オブジェを身につけるような遊び心をジュエリーに宿したい。その想いは東京から長崎に引っ越してから形となってはじまった。自分がイメージしたデザインを形にしてくれる工場と出会い、何度もやりとりを重ねて、半年かけてはじめて自身のブランドとしてジュエリーが誕生した。


ゆらゆらとした曲線が特徴的で、小さなくぼみがいくつかあることで、光の反射がアクセサリーの一瞬一瞬の表情を多彩に見せる。ひとつの形を越えた先にある様々な見え方が、自由度の高い楽しみを教えてくれるよう。デザインのイメージは、自身の暮らしから生まれた。かっこいい山や美しい海など豊かな自然が身近にあるため、そこからインスピレーションを受けることが多い。


「自分でブランドとしてものづくりをしていくのは初めてだけど、アパレルの販売員としての経験が今につながっていると感じるよ。ジュエリーは人が身につけて初めて成り立つもの。だからこそ、お客さんの気持ちやファッションの楽しさを知っている販売員じゃないと作れないものもあると思うんだ」。


自分らしいものづくりを目指しながらもそのアイデアはひとりでは形にはならない。協力してくれる工場の人たちができることを汲み取りながら、自分が形にしたい想いはしっかりと伝える。その人同士のやりとりこそがモノとして生まれていくという。


続きは、以下のサイトよりご覧いただけます。
Leben「ある日の栞」vol.09 / 伊藤 舞 

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Lebenはドイツ語で生活を意味します。正解のない様々な暮らしを取材しています。

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