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最期の日を知ってるか

人は誰でも
自分の最期の日がいつなのか知らない。

今日かもしれないし、
明日かもしれない。
3年後かもしれないし、
30年後かもしれない。

でも終わりが決まっていることは
誰にも、命あるもの全てが
逃れることのできない契約。

目の前にいる人も、
隣に住んでる人も、
同じ車両に乗ってる人たちも、
遠くのどこかで息をしている人たちも、
みんなに決められたこと。

みんな刻一刻と
終わりに向かって一歩一歩
毎日歩み続ける。

生まれてきた意味なんて分からない。
なぜこの世が存在してるのかも分からない。
自分が本当はどこに向かって
歩み続けてるのかも分からない。

だけど、この世に存在している以上
響めく地球の空気を吸って生きてる以上
「意味」が分かっても分からなくても
終わりに向かって歩み続けなければいけない。

この世の意味が分からなくても
「生きること」
「歩むこと」に意味がある。

一見止まっているように見える時でも
時が流れてる以上
実は何もしてなくてもしっかり
その足で歩んでいるんだ。

見えない一歩かもしれないけど、
確実に進んでいる。

最期がいつなのかと分かっていたら
きっと時間の使い方や
誰とどんな時間を過ごすかを
真剣に考えて日々歩む。

だけど私たち人間は
それを知らない。

まだ続きがあると誰もが思って今日を過ごす。
そんな何気ない今日が
最期の日だったとしても、
特別な日でなかったとしても、
振り返ってみれば
納得のいかない、後悔が残るような
そんな人生だったとしても、
最期にはそれを全て受けとめて
誰もが旅立っていく。

私の人生こんなだったか、と。

その気持ちは
生きるときの原動力にもなるし、
次に活かせる糧となって刻まれる。

最期を知らずして生きるから
いろんな自分を知れる。
最期を知っていたら全てが
ありがたく美しく、
愛おしいように思えるのだろうか。

誰もが
分からない最期の日に向かって
今日も平凡に、スペシャルな日を生きている。

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