余はいかにしてフェミニストとなりしか
社会の根底にあるのは、女や男の性のあり方で、それは社会の構造全体と分けようにも分けられない。
『クロイツェル・ソナタ』は、無実の女を殺し、改悛して両性の平等を追求した男が、自分の言葉には誰も耳を傾けないだろうがこれが真実だと、長距離列車で、偶然隣り合わせた人に自説を語るという物語である。
賢い男性(ワイズメン)のうちの一人である文豪トルストイも、女性観を書いている。
長編作品『アンナ・カレーニナ』や、短編『イワン・イリイチの死』は、他人の人生、とりわけ女性の人生にぐっと深く近づいて分け入って書かれており、特に『アンナ・カレーニナ』の終盤のアンナの自意識のところは、本当にこういう考えを持っている女性がいたんだと、読者に強く確信させる力がある。
トルストイが女性をよく知るようになったのは、おそらく妻ソフィアさんを比喩的に殺してからだったのだろう。
『クロイツェル・ソナタ』は、以前Kindle Unlimitedを契約しいてた際、光文社古典新訳文庫で1回通して読んだ。
そちらの年表に、ソフィアさんとの不和から何度か家出しているとあった。
今回再読したのは紙の本の新潮文庫⬇️
この『クロイツェルソナタ』は発表当時発禁になり、それを解くために奔走したのも妻ソフィアさんだった。
作品の主人公の独自の理論から、著者自身が長年同じ女性と一緒に暮らし、精神的な殺し合いを経験していたのだろうと読み取れる。
主人公ポズヌイシェフは、名誉を汚され裏切られた夫という高貴なフレーズを好む人々のおかげで裁判では無罪になった。
だが彼は、嫉妬が元で妻を刺殺したのではなく、嫉妬も在るにはあるが、夫婦関係が壊れたのは、それよりもずっと前であり、自分が下劣だったからということと、なぜ妻と憎み合うようになったかを裁判で強調したが、法廷では誰も理解しなかったという。
彼の話は等々と続く。
ポズヌイシェフの説によれば人間の欲のうち、最も下劣なのが性欲で、そして結婚は、遊女を一人に限定する買春だそうだ。
二人の関係は、もう新婚の3日目から険悪になっていった。
ポズヌイシェフは、独身者のころ買春していたが、三十歳を過ぎ結婚したいと思うようになり、十八歳の妻を迎えた。
自分は女性の堕落に手を貸してきて穢れているにも関わらず、この上なく純潔な女性を物色していたという。
妻との関係が険悪になっていったのは他でもない、夫婦生活をポズヌイシェフが妻に強要したからだった。
女性が妊娠し、出産し、授乳をする期間が役2年とした場合、その間は女性は排卵しないため性欲が弱まる場合が多い。
常に準備バッチリな猛者もいるかもしれないが、授乳を終えて排卵するようになるまで性欲は回復しない。
ポズヌイシェフはこの間妻に性交を強要していた。
しかし当時の彼は、買春や不貞をしない自分を天使だと思っていた、という。
その結果妻はどうなったかというとヒステリー症になっていった。
彼女を最も苦しめている人間が、自分を天使だと思っていたのである。
彼女がヒステリーにならないためには、2年間の禁欲が望ましい。
授乳期間が終わり、その気になれば再開すればいいのであるとう、これは、ポズヌイシェフ独自の禁欲主義として語られ聞き手を驚愕させているが、現在ではあたり前の産前産後の女性の性的特質として知られている。
改悛したあとのポズヌイシェフの説によれば、女性がいかに高い教育を受け、参政権を持ったとしても、男性が性的な目で見ている限り女権運動などナンセンスであるらしい。
女性が男性の真似をするのではなく、男性が女性の側に合わせるべきだと言っている。
女性の方が破廉恥行為から遠い位置にいるから、下に合わせないで、上に合わせるべきだそうである。
改悛したあとのポズヌイシェフの説で一部の人にもっとも衝撃的なのは、夫婦間であっても性的な情欲の目で見ると姦淫になるというくだりである。
ポズヌイシェフは度を超えた禁欲主義者にあらず。彼が言っているのは、夫婦間であってもセックスの強要は暴力である、という、今では当然の話である。
作品のエピグラフでは、イエスの発言が挙げられているが、何世紀も前から、夜の生活が元で不仲になった男女、家庭生活が悩みの種になった人々が多かったのだろうと、容易に想像がつく。
このように福音書でイエス・キリストは性欲そのものも罪であると言い、独身を奨励している。
この言葉からも、イエスは妻と夫は同じ権利を持つと考えていたようである。
律法学者や使徒は、何回もイエスに、妻は夫に従うべきですよね?そうですよね?という質問をしている。
創世記で神はあなたがたは増えかつ満ちよと、繁殖を推しているが、出エジプト記では姦淫を禁止している。
こういった教典の中にすら在る二枚舌から、父権制の世の中が下半身の規律に苦悩し結婚が合法的に性交する唯一の手段になっていったのも、律法学者や使徒が何回もイエスに同じ質問をしたがるのも理解できる。
反対に福音書にでてくる女性たちは、イエスの教えを即理解する人が多く、イエスはよく女性を引き連れ、遊女の方が先に神の国に入るとも言っている。
先に述べたとおり、『クロイツェルソナタ』は公にされた途端発禁になっている。
このトルストイの小説を読み、社会秩序を破壊させる挑発的な作品だと主張する権力者は、妻を殺す以前のポズヌイシェフであり、堕落した下劣な加害者でありながら自分を天使だと思ってますと自己紹介しているようなものだ。
結婚して一人前、育児は素晴らしいなどの美辞麗句は、男女が結婚や多産から解放されたとき足場が崩れる権力者の偽善に過ぎないと、今では知らない者などいないのである。
終わり
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