村田亜矢子

村田亜矢子

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岐阜県へ(3/3)白川郷

茅葺きの屋根を見下ろす紅葉山 子は手水舎の流れを見つめ 鍾乳洞からドライブすること1時間弱、息子と私が眠っているあいだに、白川郷についた。 ブルーノ・タウトはドイツ生まれの建築家で、ナチス政権から逃れ数カ国で暮らし、そのうちのひとつが日本だった。 上述の旅のエッセイには、日本文化への正直な反応も多い。 下呂温泉街については、俗悪、宿泊客が女性を部屋に呼ぶ、人は邪慳で偏固で意地が悪く、憂鬱、など。 白川村から平瀬については建築を賞賛し、人々は車の運転が丁寧ですれ違いざま

    • 岐阜県へ(2/3)飛騨大鍾乳洞

      塩打たれた落鮎に卵満つ 恋の成就と多産を祈り レンタカーで高山市街エリアから長野県松本市方面へ四十分ほど走り、飛騨大鍾乳洞へ来た。 飛騨大鍾乳洞は、第1洞~第3洞までの3つに区分され、それぞれに出口が設けられており、急な坂道や階段も多く、足腰がつらくなってきた場合中途退出できる。 鍾乳洞入口から第1出口までは(約10分)。第2出口まで約20分。第3出口まで約30分。 1965年に大橋外吉という人に発見された。 2億五千年前にこの辺りが海だったため、珊瑚からできた石灰

      • 岐阜県へ(1/3)高山市街

        美濃の濁酒宿の貸し下駄が鳴り 先日、一家で飛騨高山を旅した。 名古屋まで新幹線で行き、「特急ひだ」に乗り換えて、正午過ぎに高山に到着。 高山駅で降り、初日は徒歩で街を歩いた。 旅行支援の効果もあってか観光客も戻ってきていて、賑わっていた。 国分寺の並びの、小さな飛騨牛郷土料理の飲食店で、名物「飛騨牛の朴葉焼き」をいただいた。 このお味噌が美味しかった。 飛騨牛肉はジューシーで、銀シャリと一緒に頬張ると罪悪感があった。 罪悪感というのは、ダイエットの話ではなくこんな

        • 余はいかにしてフェミニストとなりしか

          社会の根底にあるのは、女や男の性のあり方で、それは社会の構造全体と分けようにも分けられない。 『クロイツェル・ソナタ』は、無実の女を殺し、改悛して両性の平等を追求した男が、自分の言葉には誰も耳を傾けないだろうがこれが真実だと、長距離列車で、偶然隣り合わせた人に自説を語るという物語である。 賢い男性(ワイズメン)のうちの一人である文豪トルストイも、女性観を書いている。 長編作品『アンナ・カレーニナ』や、短編『イワン・イリイチの死』は、他人の人生、とりわけ女性の人生にぐっと

        岐阜県へ(3/3)白川郷

          ネタバレ有『クロイツェル・ソナタ』のあらすじ

          トルストイ著『クロイツェル・ソナタ 』  あらすじ [私]は、列車で偶然乗り合わせた若白髪の紳士から、ある告白を聞く。 紳士は元は田舎の貴族で、ポズヌイシェフと名乗った。「妻を殺した」過去があるという。 そして彼は、[私]にそのいきさつを、語り始める。 ポズヌイシェフは、33歳のときに19歳だった妻と出会い、妻の姿態に強く惹かれ結婚した。彼は既に、15歳の時に兄とその仲間で「いいやつ」などと呼ばれている悪い仲間の誘いに乗り、買春していた。 婚約中にその件を書

          ネタバレ有『クロイツェル・ソナタ』のあらすじ

          青い森の不良少年(3/3)

          修司は青森市の映画館、歌舞伎座の、二十畳ある楽屋で寝泊まりした。 年に一度やってくる浪曲一座が利用する以外は使われないので、修司の部屋にあてがわれたのである。 楽屋の鏡の前で百面相をして遊んでいたら、片方の眉だけ上げられることに気づいた。その表情をモギリの女性に見せたら、「ジョン・ウェインに似てる」と言われてジョン・ウェインのファンになる。 金という朝鮮半島出身の映写技師がボクシングジムに通っていた。彼の影響で修司はボクシングを始める。 中学生三年生で身長が170セン

          青い森の不良少年(3/3)

          青い森の不良少年(2/3)

          空襲で焼け出された修司と母は、青森県三沢市古間木へ移り住む。 父の兄、寺山義人という人が駅前で飲食店を経営していて、その二階に身を寄せた。 駅から少し離れた山の方に、カマボコ型の兵舎があり、兵隊はみな国に帰ってしまったが、ワシ伍長と宗馬鹿という二人が、他に行くあてもなく、住みついていた。 米軍が進駐すると、三沢の人々は騒然となった。 三沢村が基地になることに決まったのだ。 皆が集まり家族会議のようなものをした。 とにかく米軍が来るから女を隠せとなった。 老婆だろうと小

          青い森の不良少年(2/3)

          青い森の不良少年(1/3)

          この夏、旅行で青森県下北半島を訪れた。 青森というところは、名前に負けず、夏は濃い緑の群生林がどこまでも続く土地で、その林を抜けると丘から海が見える。 下北半島では寺山修司の名前をよく目にした。 戯曲を書いて劇団を主催していた人、くらいは知っていたが、私は作品を一つも知らなかったため、寺山修司の自伝『誰か故郷を想はざる』前半の、青森県内で過ごした19歳までの部分を読んだ。 この自伝は第一章と第二章の二部構成になっており一章は少年期、二章は青年期となっている。 自伝に

          青い森の不良少年(1/3)

          真夏の海(2/2)鎌倉・横浜中華街

          坂上る女士官の白日傘 葉山の海岸で遊び、お昼ご飯を食べてから、午後は鎌倉に行きお墓参りである。 コインシャワー代をケチる女房のおかげで、夫と息子は、ペットボトルに水道水を入れて体を洗った。 そして、端にゴムが入っているバスタオルを巻いて、テルテル坊主になって車の影で洋服に着替えた。 当の私は、ウェットティッシュで身体を拭いて、車中で隠れながら着替えた。 葉山から鎌倉までは30分で着くが、車道は勾配が多くクネクネした道が続く。 道路わきにはロードバイカーや、一年中小麦色

          真夏の海(2/2)鎌倉・横浜中華街

          真夏の海(1/2)葉山・鎌倉

          虫たちが羽根で炎節を彩り 先日海水浴へ行った。 天気は曇りがちだが、暑過ぎず、日焼けもあまり気にしなくて済むので、ちょうど良い。 逗葉トンネル(逗子と葉山を結ぶ)を抜けて、道なりに3分ほど自動車で行ったところにある、森戸海岸という、小さな海水浴場に朝8時に着いた。 隣接している森戸大明神という神社がある。駐車場が、1日三千円で、高い。 神社わきから海岸に向かう。 ふと気づくと、狛犬の頭に珍しいアオスジアゲハが飛んでいた。 その横の木に、アブラゼミと、クマゼミが止まって

          真夏の海(1/2)葉山・鎌倉

          やがて哀しきFino alla fine

          Fino alla fineとは、イタリアの強豪ユベントスのグラブモットーである。直訳は「終わりまで」 サッカーは生で見るに限る。 なぜなら、好きな選手にずっと注目できるからである。 先日、Jワンの試合をみに、一家でレイソルの本拠地へいった。 試合結果から言うと、スコアレスドローだった。 スタジアムにサッカーを見にいくのは久しぶりで、私は楽しみにしていた。 対浦和レッズ戦を選んで見に行ったのだが、何故かというと、浦和レッズには、日本代表やマルセイユで活躍していた、酒

          やがて哀しきFino alla fine

          青森県 下北半島へ(3/3)恐山・三沢飛行場

          立てば極楽座れば地獄歩く姿は落亡者 翌朝、私たちは朝の講話に参加した。 他の宿泊客は20人くらいいて、皆さんご高齢だった。 地蔵殿までは長い50メートルほど有りそうな回廊を歩く。 地蔵殿に着くと目の前に表れたのは起立した状態の仏様三体で、赤と金の法衣をお召しだった。  老僧が、お祈りの仕方を説明してくださった。 仏様に、自分の自己紹介と、願い事を頭の中で唱えるようにと習い、私はその通りにお祈りした。 その後、新型コロナと、ウクライナの戦争が早く終わるようにと、老僧が

          青森県 下北半島へ(3/3)恐山・三沢飛行場

          青森県 下北半島へ(2/3)恐山

          お母さん恥ずかしいからやめてくれ 先日、青森県を旅した。 二日目は、恐山にお参りにきた。 まずは、宿にチェックイン。 今回は、ホテルや旅館ではなく、宿坊に泊まる。 恐山の宿坊、吉祥閣は、境内入って右手の、L字型の建物にある。 チェックイン時に、宿坊のおつとめ(僧侶の講話を聞くこと)について聞いた。 夜の講話は参加任意で、朝の6時半からの講話は全員参加だそうだ。 めんどくさいので、どうにか免れる方法は無いものか。 「あの、うちはわんぱく盛りの子供がいまして、騒い

          青森県 下北半島へ(2/3)恐山

          青森県 下北半島へ(1/3)十和田湖・奥入瀬渓流

          驟雨止み蜘蛛の巣に主が戻る 先日、青森県を訪れた。  下北半島は涼しかった。 陽が高くなればギラギラ暑いが、朝晩は冷房要らずで心地よい。 初日は、八戸駅からレンタカーで、広範囲に渡る天然記念物が多く保護されている国立公園の一部、十和田湖と奥入瀬渓流へ向かった。 この日の十和田湖は、曇り時々雨。 はるばる青森と秋田の県境、十和田湖に来たのだから、奥入瀬渓流をハイキングしたかった。 小雨の中、1時間くらい、川の流れに沿って歩いた。 滝と川の音が聞こえる。 空気は

          青森県 下北半島へ(1/3)十和田湖・奥入瀬渓流

          赤城山

          赤城山躑躅が凍る湖畔の朝 ゴールデンウィークに、群馬県の赤城山へ行った。 真っ赤な種類のツツジが咲き乱れていた。 赤城山は、春夏秋は登山、冬も大沼という湖でワカサギ釣りができ一年中レジャーを楽しめる。 宿は歴史のある古い旅館、「青木旅館」に宿泊した。 この旅館は、蔓延元年から赤城超えをする人のお助け小屋なるものをされていて、明治元年に赤城山が御料地となり、明治8年から旅館として営業されてきたらしい。 一日目は雨で、宿の中でのんびりし、翌日、赤城神社へ行ってから、絶景

          京都にて(3/3)伏見稲荷大社

          4月下旬、京都を旅した。 日本の稲荷神社の総本宮、伏見稲荷大社にも行った。 このイギリス人による日本研究を読んだ時、素っ頓狂だと思って、何か東洋に対する先入観のようなものがあるのではと疑ってしまった。 逆に私が、西欧文化の洗礼を受け、一応合理的な思考をする習慣ができてからの日本で生まれ育ったから、とっぴだと考えたとも言える。 古事記には、スサノオのミコト(嵐の神)が宮殿に排泄し、女官のヴァギナをつむで刺したので、天照大神(太陽神)が怒り悲しみ岩戸にひきこもってしまい、

          京都にて(3/3)伏見稲荷大社