青森県 下北半島へ(3/3)恐山・三沢飛行場
立てば極楽座れば地獄歩く姿は落亡者
翌朝、私たちは朝の講話に参加した。
他の宿泊客は20人くらいいて、皆さんご高齢だった。
地蔵殿までは長い50メートルほど有りそうな回廊を歩く。
地蔵殿に着くと目の前に表れたのは起立した状態の仏様三体で、赤と金の法衣をお召しだった。
老僧が、お祈りの仕方を説明してくださった。
仏様に、自分の自己紹介と、願い事を頭の中で唱えるようにと習い、私はその通りにお祈りした。
その後、新型コロナと、ウクライナの戦争が早く終わるようにと、老僧がご祈祷された。
お話の後のお経で、宿泊客全員の名前を読んでいただき、全ての家の家内安全と健康も祈っていただいた。
講話の間、最初は静かだった息子が脚を曲げたり伸ばしたり…
そろそろ限界かと危惧した途端、若いお坊様3人によるお経と、奉納太鼓と呼んでいいのか、リズミカルかつどっしりと重い太鼓の演奏が始まり、息子は急にシャキッと座った。
私もお経と太鼓のビートで全身に力がみなぎってきた。
太鼓と読経が終わり、立ちあがろうとしたら、足を少し崩して正座していたはずなのに、痺れてうまく動かせない。
へっぴり腰の、餓鬼のような格好を晒しつつ、のろのろ移動した。
帰りの回廊で老僧がふいに立ち止まり、
「皆さん、ある調査期間の、パワースポット一位、何処だと思われます?」
みんなが無言で続きを待つと、老僧、
「伊勢神宮です」
何人かの人が納得したように唸った。
さらに老僧、
「その調査機関では、パワースポット第二位は、ここ、恐山です。みなさんは、今日第二位の、恐山にいらしたわけです。」
やはり皆、納得したように頷いていた。
まさか、この霊場恐山で、「パワースポット」という言葉を僧侶から聞くとは……
別に驚かない。
高野山にお参りした時だって、高野山大学で、「イケメン修行僧コンテスト」というのをやっていた。
その後、食堂に移動して、朝食の精進料理をいただいた。
なんと息子用には、精進料理ではなく、オムレツとベーコンが用意されていた。
宿坊のご厚意でわざわざ作ってくださったのだろう。ありがたいことである。
息子が半分残したベーコンを、私は貪り食った。
脂と塩分の、世俗の骨頂が口内に広がった。
その後、境内を散策した。
前日は曇っていたが、この日は晴れてきた。
耳を澄ますと、やはりゴボゴボと温泉が湧く音がする。
硫化水素のニオイは、あのゆで卵のニオイである。
恐山の、この宇曾利湖を望む景色は幻想的だった。
火山の岩でできた、植物がほぼ生育しない土地と、そのすぐ傍に、碧い湖と、青々とした山が見える。
この景色を見て、慈覚大師円仁は、地獄と極楽が同じ場所にあると考えたのだそうだ。
奥の院の方へ、急な坂道を150mほど登ったところで、お不動様を拝んだ。
最後に、お土産屋さんで、御朱印帳ケースを購入した。
旅行の際、替えのパンツを収納するのにちょうど良さそうである。
山を降り、次にやってきたのは、航空自衛隊と、米空軍がいる、三沢航空の博物館である。
夫と息子が喜んでいる。
特に息子は飛行機に大興奮。
博物館の中には、航空科学を利用した子供向けの遊び場が幾つも有り、空気圧を利用した、ピンポン玉を浮かすゲームをする息子のはしゃぎっぷりよ。
そりゃあやっぱ神社仏閣より、子供向け遊び場が一番なんだ。
あと何回、家族旅行ができるだろう。
青森県ともお別れの時が来た😭
八戸駅前で、レンタカーを返却した。
(終わり)
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