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30歳になる前に言葉にしておきたかった事



「ダサい20代だったな」と思いながら、宛先がぼやけた文章を書いている。30歳になる前に、身体の外に出しておきたかったから。


今日まで生きてきた人生の中で、特に "20歳から30歳目前までの10年間" という括りで見ると、(今考えれば異常な程)数え切れないぐらいの方にお会いし、様々なカタチでお世話になり、そこから学びや成長の機会をいただき、そしてご迷惑もおかけしてきた自負がある。


そんな、僕がお世話になってきたと自覚している方々(歳上に限らず)お一人おひとりに、その当時しっかり向き合えていたかと考えると、全くもってそうではない事の方が多かったと振り返る。


「あの人に、もっと誠実に向き合えればよかった。」
「あの人のあの一言に対して、もっと丁寧なメッセージを返せればよかった。」
「あの人のあの表情に対して、何か一言、考え抜いて言葉を返せばよかった。」


ふとした瞬間に、様々な場面の、様々な人の顔が思い浮かび、今更後悔をする。


振り返ってみると特に20代は、漠然とした人生への不安や幼少期から抱いてきた劣等感、それから自分の中にある中途半端な正義感などをぐるぐると掻き混ぜ固めて意味づけをし、自分なりの目的のようなものを武装して、とにかくそれに向けて行動する事で、自分自身を満たそうとしていただけだったようにも思う。


そうやって、誰でもなく自分を満たす為にもがきながら、前だと思う方向に向けて早足で歩く中で、かけて下さる声や伸ばして下さる手の方を振り向かず、また時には聞いているフリや手を握り返したフリをしながら進み続け、結果として失ってきたと感じるものも非常に多い。


そのように生きてきて、30歳を意識し始めた頃から「今までお会いしお世話になってきた方々や、傷つけてきた方々、結果として裏切ってきた方々に、感謝と懺悔の意味を込めて言葉を送りたい」と思い続けてきたのだけれど、僕の重い腰は中々上がらずに、気がつけば本当に目前に迫ってしまった。


そして結局「ごめんなさい」も「ありがとう」も、大半の方へはストレートには言えずに、こんな駄文を書く事しか出来なかった。


なんとも抽象的でとりとめのなく、当たり障りのない文章を書いて、どうにかまとめようとする事も、誰でもなく自分自身を満たす為の行為で、己の弱さや狡さの現れだとは分かっているつもりでいる。


僕が本当に言葉を届けたいと願う人の中には、もう人生で二度と顔を合わせる事がない方々もいらっしゃるだろうし、そもそもそういった方々にはこの文章は届かないだろう。


言葉にしてみたところで、当然過去の時間は戻ってこないし、過去のある瞬間に向き合いきれなかった方々のその時の感情も変えられないし、結局独りよがりで自己満足な行為でしかないという事も充分承知している。


それでもいつかまた、顔を合わせる事ができれば嬉しいと願う方々やこれからもお世話になるだろうと思う方々の顔を思い浮かべながら、また唯一変えていけるであろう、30代の自身の在り方への決意を込めて、30歳になる前にこの文書を残しておく。





2020年11月14日 木村彰宏

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