ハーモニー 伊藤計劃 所感
ハーモニー(調和)
1つの物が他の中に置かれた(を他と比べてみた)場合、互いの性質、特に、色・形・音などが、衝突しないで、新しい美しさ(よさ)を見せること。
――新明解国語辞典 第八版
本作品の表題として、「ハーモニー」がつけられたことに大きな喜びを感じる。
これほどまでに作品とタイトルが完全に一致している小説に、初めて出会ったかもしれない。
ユートピアの臨界点として描かれる、異常発達した福祉厚生社会。
そこでは人類は「公共的なリソース」であり、不健康に生きることは「非社会的」だとみなされる。
全人類にWatchMeと呼ばれる医療ナノマシンが入れられ、老衰と外傷意外で人類は死ななくなった。
「健康であること」が社会全体の圧力としてかけられる中、3人の少女が小さな革命をおこそうとする。
それは、社会で最も重要視される身体そのものへの攻撃。
つまるところ、自死だった。
といったところから端を発する本作品は、大まかにはSFとしてジャンル分けされるだろうが、他にも多分に要素を含んでいる。
社会学、人文学、他にも含まれるのだろうが分からないところが口惜しい。
本作品をより深く知るためだけに、人文系の専攻学科に入り直してもいいくらいには最高。
表題「ハーモニー」は、作中の中での意味がどんどん変化する。
社会が人類に強制するものとして、少女の心のありようとして、社会の破滅を願う者達の思想として。
ぜひとも本書を手に取り、その意味を見て欲しい。
また、本作品はhtml、つまりウェブサイトのコーディングのように、etmlという形式で描かれている。
心理描写では、
<shake>、</shake>
<sentimental>、</sentimental>
といったような表記がされている。
これがまたおもしろく、独特な読書感を与えてくれる。
難点は、英単語が分からず調べる必要が多々あることか。
最後に、伊藤計劃は本作で初めて読んだのだが、どうやら本作の前日譚のような位置づけとして「虐殺器官」があるようだ。
作品の完成度、描写の良さ、SF的アイディアレベルの高さに感銘を受けた身としては、ぜひともこちらも読もうと思う。
伊藤計劃を知らず興味をもたれた方は、ぜひとも「虐殺器官」→「ハーモニー」と読んでみて欲しい。
以下本文引用。
ネタバレ注意。
21p
我らの世代は、お互いが慈しみ、支え合い、ハーモニーを奏でるのがオトナだと教えられて育ってきたから。
<list:item>
<i:汝の隣人を愛せ>
<i:右の頬を打たれたら左を出せ>
</list>
本作の特徴的な表現技法。
独特の読書感を与えてくれる。
48p
キアンはミァハの腰巾着みたいなものだった。
このセカイに違和感を覚えて居場所がないと思っているのはわたしたちと同じだけれど、そのくせいちばん度胸がなくて、大声を出す人間の言うことに従いがち。
怯え屋さんだ。
55p
そう、わたしは何だかんだ言って、自分の生府から、生まれた社会システムから離れることができない。
そこからどんなに逃れたいと思っても。その理由は、恐怖。
たとえそれをどんなに憎んでいても、自分を見つめるものをすべて失ってしまったら、やっぱりわたしはどうにもならなくなってしまう。
62p
と言うなり、わたしはRPGをぶっ放した。
WarBirdと来たら芸のないもので、ジグザグな迂回パターンもとらずに、真っ直ぐ律儀に装甲車のお尻めがけて飛んでくる。
だからケル・タマシュクのオマケもまた、装甲車の屋根から真っ直ぐ後ろに飛んでくだけでよくて、最後の瞬間に互いにとって破壊的な出会いを演じることになった。
RPGが当たる描写をここまでアイロニカルに書いてるのを初めて読んだかもしれない。
78p
誰にとって大変なのだろう。
少なくとも自分にとっては問題ない。
副流煙で誰かを傷つけてもいない。
いくら身体を痛めつけようが自分のカラダで自分の勝手。
とはいえ、右も左も公共的正しさ、リソース意識の昨今にあっては、こう考えること自体が恥知らずで破廉恥だ。
79p
かくて、わたしは日常という砂漠に墜ちた。
公共性とリソース意識からなる、茫洋とした広がりに。
調和という名の蟻地獄に。
逃げたくても逃げられない日常としての描写がうまい。
89~90p
「…昔の人の想像力が、昔の文学や絵画が、わたしはとってもうらやましいんだ、トァン」
「どうして」
「誰かを傷つける可能性を、常に秘めていたから。誰かを悲しませて、誰かに嫌悪を催させることができたから」
調和のとれたセカイでは、全ての作品が「検閲済み」となる。
表現の自由が踏みにじられたセカイで語る少女の夢は、歪んで見える。
97p
六十二階からの眺め。
ミァハが傷つけようとした眺め。
キアンが馴染んでしまった眺め。
わたしが逃げ出した眺め。
132p
トァンの言うとおり。
わたしたちは互いに互いのこと、自分自身の詳細な情報を知らせることで、下手なことができなくなるようにしてるんだ。
この社会はね、自分自身を自分以外の全員に人質として差し出すことで、安定と平和と慎み深さを保っているんだよ。
134p
それが進歩なのよ、とわたしの裡に住まう御冷ミァハが言う。
人間は進歩すればするほど、死人に近づいてゆくの。
というより、限りなく死人に近づいてゆくことを進歩と呼ぶのよ。
生体管理をWatchMeとして外注化していくことが加速していけば、人間としての営みもいずれは全て外注化する。人間の営み全てが人間で行われなくなったとき、確かに人間は死んでいると言えるか。
160p
学期末に<大災禍>が控えているので、歴史の授業では哀れなユダヤ人たちの運命はどうしてもなおざりにされがちだ。
こうして歴史が伸びてゆけば伸びてゆくほど、学期内という物量的な限界のために、多くの歴史がどんどん圧縮されていく。
今はまだ2000~3000年程度の人類史でしかなく、学習使用と思えばできる。
仮に10000年まで人類史が続いたとすれば、世界大戦などは第何次と数えられることすら無くなるのだろうか。
学習する優先順位をつけられ、取捨選択される歴史がなんだか悲しい存在のように感じる。
206p
わたしは空港に車を走らせた。
急がなくてはならない。
「空気」の下に潜んでいた怪物が、むき出しになる前に。
ありきたりな倒置法ではあるが、なんだかぐっとくる。
214p
「ヒトラーの母親は乳癌で死んだ」
と冴紀教授が言う。
「医者はユダヤ人だった。
だからヒトラーのユダヤ人憎悪はそこに端を発している。
ホロコーストはヒトラーの母親の乳房から生まれたというわけだ。
右か左かは知らんが」
「ナンセンス」なセンスの良さ。
221p
脳の死が人間の死だっていうのは、結構最近生まれた観念なんだよ。
人間にとっては脳みそがすべてだ、ってみんなが思うようになったのは。
265p
動物たちは人間に比べてどうにも幸せそうだと思えることがある。
木の枝で凍えて落ちる鳥は、惨めさを知らないと誰かが言っていた。
272p
地獄から助け出され、日本の地で新しい生活をはじめたものの、そこもまたミァハにとってはハーモニーのとれた場所ではなかった。
我々の世界はハーモニーを獲得しようとして大量の自殺者を生産する、真綿で首を絞めるような強権的な優しさが支配する社会だったからだ。
地獄のようなチェチェンと同じくらい、御冷ミァハは生府の社会を憎悪していた。
ミァハにとって、チェチェンと東京は地獄が意味するものの別な両極だったから。
280p
呼吸するたびにヴァシロフの胸から血がどっく、どっくと流れ出してきている。
大きな動脈か静脈をわたしの弾丸がずたずたにしたのだろう。
もはや破れた胸膜から侵入した血液に侵されて、呼吸をするのも難しそうだった。
まるで断末魔のように大きくあえいでみせると、小さな声を絞り出す。
281p
そこでわたしはふと考えた。
この自己嫌悪という感情は、その感情を誘発する脳の機能は、どのような環境で必要とされ、進化上組みこまれたのだろうか、と。
そして、わたしは引金を引く。
320p
「…シュタウフェンベルクが言ってたって教えたでしょ、わたしの肩に世界がかかってるって。
これはすべてわたしだけの肩にかかるべき」
言葉遊びにしてはウィットに富みすぎている。
336p
わたしの棺に、本は入れられないからね。
わたしに力をくれたものは、わたしが連れて行く。
350p
「だから、わたしはここでキアンと父さんの復讐をする」
「どうやって」
「あなたの望んだ世界は、実現してあげる。
だけどそれをあなたには、与えない」
ひゅーひゅーひゅひゅー。
そして、わたしは引金を引いた。