不自由な時に出来ることが自由

こんばんは! たけしです!

タイトルは、以前に紹介した記事を読み返して思い出した文章です。

とっても大事なことだなと

何もかも、喪失した時、してる時にしか気づかないんですよね。

失ってから気づくこと

ばかりです。

でも、正直、それでもいいですよね。

失ってもいないのに、本当に必要だと思うこと自体が変な話です。

私は、普段からあまりマクドナルドは食べません。 嫌いなわけでも、我慢してるわけでもなくきっかけが無いだけなんですが。


来週でマクドナルドが食べられなくなります。

と言われれば

今すぐにでも食べに行きます。

昨日、無くなっちゃったよ

といえば

今まで気にもしなかったくせに落ち込みます。

そーゆーもんなんですよね。

普段から、マクドナルドがなければ困る!!  絶対だめだ! なんて言ってる人はロッテリアでもいいんですよ。

無くなった 後 にあのポテトが食べたいなぁって思ってちょっと後悔するのが 正解です。


それは話を大きくすれば、今の日本でも同じです。

話せばキリがないですが、 要するに今が   喪失期です。

あのときはあれができたのに

あのときはあれが食べれたのに

あのときは

と、贅沢すぎて、浮かれすぎて、当たり前すぎたんだと言うとそうでもなくて

仮にどんな姿でも、失った時点で

あのときは  なんです。

では、どうしたら良いのか 

マクドナルドは食べておけばいい。

少し、日本人の性質が変わってきて、     

やれるはずなのに、出来るはずなのに見切りをつける癖がついてしまったんです。

ずっとやりてーなーって思ってたけど、歳もそこそこだし、おれには無理だな

けど、その夢を叶えた人を見ると 悲しくなりませんか?

だってそうでしょ。 どーせ使えないなと思った石を誰かが拾って、それがダイヤモンドだったら。 悲しいでしょ

そーゆーひとは次に 叶えようとしてる人に

お前には無理だ 出来るはずがない

と批判する立場に変わります。

食べたければ食べればいいんです。太ったなと思って走ろうと思ったら走ればいいんです。痩せようと思ったら痩せるまでやればいいんです。

そうすれば

あのときは

って言葉が少しは減るかな







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