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【俺の履歴書】大企業に入るため同志社に入学しましたが、中退して経営者になる道を選びました

はじめまして。黒川伸弥です。

2019年8月に会社を設立して人と会う機会も増えました。

そこで僕がどのような人間なのかを少しでも興味を持ってくださればと思い書きましたので、読んでいただけると嬉しいです。

僕の人生を変えるきっかけの詰まった学生生活を中心に書いたので、

特にこれを見ている学生さんは学生生活の参考にもしていただきたいです。

目次
・同志社大学入学
・初海外で韓国に行く
・ダーツを投げて一人でマチュピチュに行く
・3ヶ月ヨーロッパでホームレス生活
・同志社大学を中退して経営者になる
・同世代の方に伝えたいこと

あらためまして、株式会社俺の道代表取締役社長の黒川です。

1997年11月22日生まれ
大阪生まれ大阪育ち

小さい頃からスポーツを愛し、スポーツに愛され、
高校の体力テストではオール満点の運動神経でした。

小学校はサッカー、中高野球部で、
高校時代は全力で野球に取り組みました。
(高校球児時代の話はまたの機会に出来ればと思います)

当時は勉強して大学に行く意味が本当に分からなかったので、
親や先生にいくら勉強しろと言われてもしませんでした。

高校3年生の受験シーズンになり周りが志望校を決めていく中で、
僕はセンター試験を受ける事なく高校を卒業しました。

でも僕の親族はサラリーマン一家で、
いかに良い大学に入って大企業に入るかが全てでした。

高校は好きなように野球をしたし、
まずは勉強で親孝行して母を喜ばそうと思い、
受験勉強をしようと決めました。

母は母子家庭で一人っ子の僕に、
沢山の愛を注ぎながら育ててくれました。
とりあえず賢い大学に合格することが1番喜んでくれると思ったので、
同志社大学合格を目標に受験勉強をスタートしました。

そして一年の浪人を経て、
同志社大学に合格しました。

母は涙を流して喜んでくれて、
純粋に頑張ってよかったと思いました。
これで大企業に入ってもっと恩返しできる。
黒川家の期待と、これからの自分の人生にワクワクした気持ちで入学式を迎えました。

・同志社大学入学

入学当初、浪人をコンプレックスに感じてた僕は、漠然と年下の同級生と差を付けたいと思っていました。

でも大学でやりたいこともなく、
何をすればいいか分からなかった僕は
とりあえずサークル10個入って遊びに遊びまくりました。
(クラブにハマってクラブでアルバイトもしました。
『ぼくは愛を証明しようと思う』という本にも出会いました。
初対面で相手に好かれる術を学ぶ為にホストも経験しました。)

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もうとにかく遊びました笑

そして夏休みを迎える頃には派手な遊びに飽きていき、
1回生の春学期は一瞬で終わりました。
(人間何事も飽きるまでやるのが1番ですね)

夏休みを迎え、当時僕が大学で一緒に授業を受けていた韓国人の友達から
『一緒に韓国の実家に帰ろうぜ』と誘ってもらい、
『海外なんて興味ねぇよめんどくせー、』と思いながらパスポートを発行してフライトを予約しました。

・初海外で韓国に行く

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2週間ほど友達の実家で生活しました。
友達のご両親は僕を毎日色んな場所へ連れてってくれました。

そこで感じたのは日本と隣の国なのに文化や価値観が全然違うということ。
タクシーやっす。なにこれ食えるん?見た目う○こやん。チキンうま。明洞日本人しかおらんやん。韓国のプロ野球ばりエラーするやん。韓国にも銭湯あるんや。 反日ってメディアで言うけど韓国の人めちゃ親切やん。

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(見た目と味のギャップNo. 1のスンデ)

実際に自分の目で見て体験したことが全てやなと、
それから日本のニュースや人から聞いた情報はまず疑うようになりました。

そしてある晩、
韓国から日本へ僕が帰国する日が近づいてきた頃。
いつものように友達と家でテレビを見ながら、
ふとお互いの将来の話に。

『俺はバーとかやりたいねんなー、お前は将来なにしたい?』と聞くと、

楽しくウォッカを飲んでた雰囲気が一気にズトンと重たくなり、

まず言われたのが『しんやはいいよな。』

・・・ん??

その言葉を理解できないまま、
『俺は軍隊にもうすぐ強制的に行かないとダメで、それを思うと将来なにがしたいとかポジティブに考えられないよ。軍隊に行く事を考えると夜も眠れないよ。』

そう言われて僕の脳みそに衝撃を受けました。

僕はそれを聞いて何も言い返せず、
頭の中で『俺は今まで何をやってきたんだ』という感情が無限ループでした。
やろうと思えば何でもやれる環境の日本で俺は何もしてない。
同い年で隣の国なのに、こんなに環境が違うのだと気付きました。

その後日本に帰国してからは韓国の友達の分まで日本でなんかデカいことしよう!BIGになろう!と思いました。

でも何をすればいいか分からなかった僕は、
とにかく色々な人に会いに行きました。

ネットで異業種交流会を調べて参加したり、
誘われ事には全てYESで行きました。
(地下アイドルの劇場でファンのサクラもしました。
オーラが見えるコンサルも受けました。)
前科ある人、スピリチュアルな人、億プレイヤーの人、経営者、世界何周もしてる人、本当に色々な方と出会い、生き方のサンプルを集めました。

それまで僕は大学を卒業してサラリーマンになって結婚するような、
いわゆる一般的な人生しか知らなかったので、
そうした生き方と触れることはとても刺激的でした。

もちろんお金で人を騙そうとする人、
若者を利用しようとする人、
悪い大人にもたくさん出会いました笑
(学生がでかい事したい!と言って寄ってくる人なんて利用されておしまいです。もちろんそんな悪い人だけではないけど、
親族以外信じてはいけない覚悟で人と会うべきだと思います)

そんな時、友達に勧められて行ったバーをきっかけに、
僕の人生が大きく変わっていきます。

そのバーに集まる大人が本当に面白くて、
路上でケツバットを受けてお金を稼いだり、
ヒッチハイクをしながら世界で好きなように遊んだり、
自分の生きたいように生きてる彼らがとてもかっこよく見えて、
彼らとよく遊ぶようになりました。
たくさん可愛がってもらえて、今でもここは僕の大切な居場所です。

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彼らが無一文で日本一周した話や、
海外の路上でパフォーマンスしてお金を稼ぐ話などを聞いて、
旅に興味を持ちました。

そして人生初、大阪から広島までヒッチハイクをしました。
すると人から親切にされたり、おもしろい経歴の人と出会えたり、
そんな旅の魅力と出会いました。
「人生ってお金がなくても紙とペンだけでこんなに幸せを感じれるんや」と思ってそれから日本あちこちをヒッチハイクで巡りました。

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ヒッチハイクは目的地を決めてそこに必ず行ける保証は無い中、
自分で行動して目的地にたどり着いた時の達成感が好きでした。
さらにピンチの時こそドラマが生まれたりして、
俺今生きてる!!を最大限に感じれます。
その感情が本当にたまりませんでした。

次は海外でこの体験がしたい!と思い、
ノリと勢いだけで
世界版ダーツの旅という企画をやりました。

・ダーツを投げて一人でマチュピチュに行く

これは友達を20人呼んで僕に行ってほしい国をダーツの的に書いてもらい、僕がダーツを投げて当たった場所に行くと言う企画でした。

(ぜひリンクの動画をみてください)


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ちなみに
世界一殺人率の高いエルサルバドル
世界一治安の悪いカラカス
世界一寒いオイミャコン
世界一暑いジブチ共和国、、、

南極が可愛く見える笑

そんなこんなで、
ノリでダーツを投げて、
ノリでマチュピチュ行きが決定。

でもそんなことよりも、僕の為に大好きな友達が集まってくれて、
その空間がとにかく気持ち良かったです。

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そして次の日

俺マチュピチュ行くんかー。。。

ん?マチュピチュ!??

完全に我に返りました。

マチュピチュってどこや?と思いながら調べると、

ペルー。

南米か。

ん??
南米って治安くそ悪いんじゃね?!と
急に怖くなって、あ、俺死ぬかもしれん笑
そう思ってマチュピチュに一人で行くのが本気で怖くなりました。

『俺やっぱり行かなくてもいい?正直めちゃめちゃ怖いねん、死にたくない。』と僕がダーツを投げるのに集まってくれた友達に電話をしました。

すると『しんやが決めたならいいよ』と言ってくれました。

だけどこれでもし行かなかったら友達を裏切る事になる。
「俺ってこんな簡単に友達裏切るんや」、と
そんな自分に情けなくなりました。

そしてマチュピチュに行く覚悟を決めて、資金を集めることにしました。

ちなみにダーツを投げた当時の全財産は約2万円でした。
ペルーに行く航空券だけでも15万はかかる、
現地の交通費など最低でも20万円は必要と気付き、
なにか面白いお金の集め方をしたいと考えた結果、

路上でお金を集めることにしました。

名付けて夢募金。

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街で歩いてる人に声をかけて、
『すいません、僕の夢を聞いてくれませんか?僕の今から話すマチュピチュに行きたい夢に共感していただいた分のお金をください。』
と色んな人にお声かけしました。

やってみると、どんどんお金が集まりました。
お金をいただく度に、「絶対にマチュピチュ行く!」と気持ちも高まりました。
でも、だんだんマチュピチュに行きたくて想いを伝えるのではなく、
お金を貰う為に想いを伝えてる自分に気付き、
そんな自分に違和感を覚えたので夢募金を中止しました。
マチュピチュに行くのを応援してくださる人にも何か価値を与えたいと思いました。

そこで次にやり始めたのが路上バーです。

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こんな感じで通りかかる人とお酒を飲みまくりました笑

飯行くぞ!とサラリーマンの方が腹いっぱいに飯を食わせてくれたり、
いつも遊びにきてくれるファンができたり、
一緒に路上バーしたい!と言ってくれる方がいたり、
年齢関係なく面白い人とたくさん出会えました。
路上バーで出会った方々とは今でも仲が良いです。

そんなこんなでお金も増えて、
気づけば僕のマチュピチュ行きを沢山の人が応援してくれていました。

この時出会う大人からは『若いってええなぁ』とよく言われ、
そこで若さの価値に気づき、
やりたいことは何でもやってやろうと決意しました。

そしてついにフライトの日を迎えました。
正直この日を迎えれたのは、ダーツを投げるのに集まってくれた友人や路上で僕を応援してくれた方々のおかげです。
その人たちのおかげで沢山の怖さに打ち克ちました。

そうして覚悟を決めて飛行機に乗りこみました。

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(実際に乗ったフライト)
なんとかペルーの空港に着いて出国ゲートを出ると、
今までに見た事ない人種の人たち、全く聞いたことのない言語、
そしてアジア人がおらん。
そんな状況で自分がアクションを起こさないと目の前の世界は何も変わらない状態。
ホテル泊まれない、ご飯食べれない、移動できない。

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一言で表すなら『俺VS世界』
この表現が1番しっくりきます。
 もう地球の主人公になった気分でした。
まずは空港からクスコと言う街に向かいます。

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(写真はクスコ)

クスコは富士山と同じくらいの標高があるので、
高山病になるリスクがとても高いです。
そんなクスコでは高山病予防として、
コカの葉を摂取するといいと言われいて、僕も沢山のコカの葉を噛んでいました。
こんなに笑顔なのはコカの影響でハイになっていたからかもしれません。

そしてクスコからマチュピチュの近くにある水力発電所までバスに乗ります。
山道を登って下ってを繰り返すのですが、車輪が少しはみでたら崖から転落するような道をラテン音楽を爆音に流しながらガンガン進んでいきます。

https://vt.tiktok.com/h1USnn/

バスに乗る事10時間。

水力発電所に着きました。
ここから約3時間歩いてマチュピチュ村まで向かいます。

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ひたすら線路道を歩きます。

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休憩もしながら歩くこと3時間。

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マチュピチュ村に到着です。
モンハンの世界感そのままで、
非現実的な村の様子で感動しました。
ここまで来ればマチュピチュまではあと少しです。

さらに歩きます。

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途中で仲間が増えました。

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コロンビア人の親子です。
マチュピチュまで約1時間一緒に登りました。

そしてついに、

マチュピチュに着きました。

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もうマジで泣きました笑

自分が一人で日本から真反対のマチュピチュにたどり着くなんて全く想像できないところから、
実際に一人でマチュピチュにたどり着いた時は最高に生きるを感じました。
嬉しい、楽しい、達成感、感動、いくつものポジティブな感情が襲って来ました。
(今思えば高山病予防で過剰摂取してたコカの葉が原因かもしれないです)

あー俺何でもできる。
この時気づいたのは人間って何でもできるんやということ。
「今まで出来んかったことは、やったことがないだけや」
「出来ないのはやらんやつが言い訳してるだけや」
本気でそう思えるようになりました。

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ちなみにマチュピチュにいたときは1週間くらい風呂に入らずパンツ以外は着替えていません。
荷物もユニクロのリュック一つで関空から来ました笑

マチュピチュから日本に帰ってからもすぐに水上生活民族のバジャウ族の村に1週間ほど滞在したり、
海外に行って自分の脳みその固定概念が外れていく感覚にハマりました。

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足場は悪くて現地の人でも落ちることがあるそうです。

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それからガッツリ海外に行って自分の脳みそに刺激を与えたいと思い、
2019年の春から1年間、海外に行く為に大学を休学をしました。

目的は海外の生き方を学んで自分の人生の選択肢を増やすこと。
新しい場所に行き、新しい文化や考え方の人と触れて自分の価値観の幅を広げようと思いました。

そして運よく留学エージェントを介してマルタで留学ができることになりました。
(マルタは地中海のど真ん中にある国で、国土面積は東京23区の約半分です)
留学の学校、朝晩の食事、ホテルが用意され、
まさに完璧なプランでした。

ですがマルタへのフライト数日前、
僕はエージェントからマルタ留学取り消しの連絡が来ました。

大学を一年間休学し、脳みそは完全にマルタに行く気満々でした。
しかしお金がないから行かないのは僕の中で納得ができなくて、
お金が全くない状態でしたがとりあえずマルタに行きました。

・3か月ヨーロッパでホームレス生活

マルタに着きました、

というか来ちゃいました。

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もちろんマルタに着いたもののあてはなく、
とりあえず空港のWi-Fiを繋げて現地で今からでも留学できそうな学校をググって連絡しました。

ですがどれも僕の英語力では相手にしてもらえず、
実際に留学の学校や現地でインターンができそうなオフィスに訪問もしました。

でもやはり英語のスキルが必要だったり、ビザが必要だと言われました。

「ヤバイどうしよ。」
でも英語は学びたかったので、
午前中は空港で英語をインプット、
午後からは街に出て英語で観光客に話しかけて生きた英語を学びました。
そして寝る時間になったら空港に戻って空港泊。

そんな生活をマルタに着いてから1週間程繰り返しました。

そしてついに事件が起きます。
いつものように空港のフードコートのソファで寝ていると、

ボブ・サップみたいな大男にたたき起こされて、
『パスポート見せろ!フライトYOUあるんか?なんでいつもここで寝てる!!』と詰められました。

一瞬何のことだか全く分からず、ボブ・サップがSECURITYと書かれた服を着ていたので警備員だと気づき、
パニックになりながらも僕は全力のsorryでその場をしのぎました。

というのもマルタはホームレスが法律で禁止されていて、
僕がしていた行為は浮浪者と変わらない生活でした。
もうとにかく謝って事が大きくなる前にその場を去るしかありませんでした。
とにかく全力で謝って、反省して、
もう空港に泊まるのは迷惑なのでとりあえず街へ向かうことにしました。

街に向かうバスに乗りながら、
親には絶対に頼りたくなかったので、
とにかく現金を稼ごう!と考えました。

街のレストランを順番にあたって、
ここで働かせて下さい!と回りました。
「I wanna work here. Im Japanese.」
とりあえず日本人と言えば信用してもらえて働けるだろう、
そう思っていました。

ですがそもそも就労ビザが必要だと門前払いでした。

そんなとき、僕のFacebookにメッセージが来ました。

「仕事は見つかりましたか?お店でお話ししましょう」
という内容でした。
マルタの街にある日本食レストランのオーナーからでした。
実は以前そのお店に伺って「働きたいです!」と伝えていて、
就労ビザが必要だからと一度は断ったものの、
心配して僕のFacebookを見つけてメッセージを送っていただきました。

すぐにお店に伺い、
「お店で働いてもらうことはできないけど、
お店の外でキャッチだったらいいよ」と話をいただき、
その日からキャッチを始めました。

僕は店の前に立ってお客さんを呼び込むのではなく、
お酒の場でひたすら友達をつくって、その友達にお店に来てもらいました。
(僕は英語が話せないのでお酒を飲んで勢いで友達を作るしかなかったです)
マルタのクラブはどこも無料で入場できて、お金を持っていそうな人からお酒をガンガン奢ってもらいながら友達の輪を広げました。

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(クラブなどが立ち並ぶパーチャビルというエリア)
今となればここが僕のアナザースカイです。
僕は立ち並ぶクラブやバーでお酒を死ぬほど飲みながら、
酒とダンスが言葉の壁を超えるのを身を持って体感しました。

そしていつものようにクラブに行くと韓国人の友達が出来ました。

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真ん中に写る彼女です。名前はナギョン。
(右に写るのはいつもクラブにいて僕にお酒を飲ませてくれるナイスガイ)
彼女は日本語がペラペラでした。
そして英語もペラペラ。
これは今の生活の救世主になるに違いない!
毎日慣れない英語で友達を作るのに疲れていた僕は何としてでも彼女と仲良くなろうと決めました。

そしてなんとかナギョンと仲良くなることに成功しました。

しかし、彼女はオランダ留学中で学校の休暇を利用してマルタに遊びにきていてもうすぐ学校が始まるからオランダに帰らないといけない、
そう言われました。

僕からすればせっかく意思疎通がノンストレスでできる友達ができたのに、もうこんなチャンスはないと思い、
思いきって僕もオランダ行きのフライトをすぐに購入してナギョンを追いかけるようにオランダへ向かいました。

そしてオランダに来ちゃいました。
人生ノリと勢いと体験。
「まあ何とかなるやろ」、
と謎の根拠のない自信に溢れながらオランダ生活がスタートします。

ちなみにオランダの初日はナギョンが生活している留学寮のパーティーに誘ってくれました。

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ここで出会った留学寮のみんなは本当に感謝しています。
毎日のように僕の遊び相手をしてくれたり、
余ったご飯を分けてくれたり、感謝してもしきれないです。

ちなみに僕が滞在したのはオランダのマーストリヒトという街でした。
とても綺麗な街で良くも悪くも何もない街でした。
治安は日本よりもいい気がしました。
店も少なく、時間もゆっくり過ぎていきました。
そんな街の居心地はとても良かったです。

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こんな感じで3週間ほどオランダに滞在しました。
マルタではずっと一人で生活していたので、
気軽に会える友達がそばにいるオランダでの生活は心地良かったです。

そして「せっかくヨーロッパに来たしなぁ」と思い、
好きなように行きたい国に行こうと思いました。
これは自己投資だ、と覚悟を決めて、
ヨーロッパで全財産を使い切ると決めました。
(最終的にオーバーしてキャッシングしました照)

そうしてナギョンに見送られながら電車に乗ってドイツに向かいました。
ドイツ、フランス、ベルギー、、と約10か国程ヨーロッパを巡りました。
朝起きて「今日はなにしよっかなー」と考えながらその日行きたい国に行く。

毎日予定なし、朝起きてから行きたい国に行き、好きなことをする。
そんな生活を約3ヶ月送りました。


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それと同時に「俺って人生でなにを成し遂げたいんやろ?」と
死生観についてもポジティブに本気で考えていました。
今思うと本気で自分の人生について深く考える期間をもてたのはとてもよかったです。

そして約3ヶ月間ヨーロッパで生活して強く感じたことが、
自分の好きなように、生きたいように生きる”でした。

もう少し具体的に言うと、

・会いたい人に会いたい。

・資本主義の国で生活するなら資本主義の旨味を吸える立場にいたい。

・自分の人生の責任を100%背負って生きたい。

そしてこの三つを成し遂げる為の手段としてベストなのが起業でした。

・同志社大学を中退して経営者になる

こうして大学に入学してからの小さなきっかけが積み重なり、
「大学卒業後は絶対に大企業に入社する!」という考えから、
「別に就職だけが全てじゃないな」と思えるようになりました。
就職も起業も、結局は自分の目指す人生の手段にしか過ぎないと気付きました。

そして大学を中退しました。
一般的に大学中退はネガティブな印象をもたれますが、
後悔は全くなく、そもそも大学を辞めるのがいい悪いという概念がなくて、
何をするにしてもそれを正解にするのは自分次第だと思います。

そして2019年8月26日
自分の人生をやりたいように、
自分の人生の全てに責任を持って100%自分の意思決定で生きたいという想いで株式会社俺の道を設立しました。
持株100%の僕一人で会社を経営しています。

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僕が会社を設立するとき、出資するよ!と声をかけて下さった社長や投資家の方々がいましたが、
自分の事業を100%自分で意思決定する為にお断りしました。

ちなみに会社設立当初は事業計画なし、
とりあえず会社を設立して社長になったのがスタートです。

主な事業内容は営業代行事業で、
現在は人材・不動産・WEBと様々な業種の企業とお付き合いさせていただき、利益の面でも貢献できています。

・同世代の方に伝えたいこと

ここまで読んでいただければわかると思いますが、
僕は特別にお金があるわけでもなく、スキルがあるわけもないです。
今でも失敗はたくさんしています。

でもそんな僕が伝えたいのは、

何事もやってみないと分からないということです。

というのも良くも悪くも日本にいると、
親に反対されたり、周りを気にしたりして自分のやりたいことを我慢してしまう事が多いのではないかと思います。

例えば長期間海外に行くことも何かしらの理由をつくらないと行きづらい文化の国だと思います。
(留学に行く為、海外インターンに行く為、ワーホリの為...)

そんな事を気にせずに純粋に生きたいように生きるべきだと思います。

なぜなら僕と同世代の若い人は失敗して失うものなんて本当にないので、
純粋に自分のやりたいように生きてみるのもいいのではないかと思います。

自分が体験した中からじゃないと自分のやりたいこと、自分に向いてることなんて見つからないです。

何も行動せずにカフェで、「自分のやりたいことって何だろう」と考えても見つかるはずがありません笑

将来のことでいくら悩んでも、行動しなければ何も変わりません。
キャリアに正解を見つけようとしても見つかるものでもなく、
自分が選んだ道を自分で正解にするしかないです。

何事もやりながら、失敗しながら、学んで改善しながらやっていくしかないと思います。

また自分にわがままに、やりたいことをやれるのも若者の特権だと思います。
自分の気持ちに正直に、生きたいように、好きなように。

そうやって「俺今生きてるって、胸張って俺今頑張ってる」って、覚悟を持って言えるのは本当に生きていて楽しいです。

https://vt.tiktok.com/rEBg1x/

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僕は今、仕事や遊びを通じて色々な面白い人と出会えて最高に幸せです。

僕も起業する時や大学を中退する時は多くの人から反対されましたが、
そこで反対をした人は起業も大学を中退したこともない人たちでした。
やったことがない事にレビューはできないし、してはいけないです。

世の中やってみないとわからない事ばかり。 

まずはやってみよう。

最後に、ここまで読んでいただき本当にありがとうございます。

今回は僕の学生生活をまとめてみました。
この記事が誰かのお役に立てれば本当に嬉しいです。

今後も僕と関わってくださる方に少しでもいい影響を与えれるように、
コツコツ頑張ります。

死ぬ前の1ヶ月を思い出話だけして死にたい。 

これが僕の人生のゴールです。

一緒に思い出話ができる方を仕事や遊びを通じて求めています。


株式会社俺の道代表取締役
黒川伸弥


【2022年2月追記】

みなさんお久しぶりです。

久しぶりにnoteにログインすると、こんなにたくさんの方に読んでいただいたんだ、とびっくりしています。

改めてこの記事を読んでいただいた方に心から感謝申し上げます。

黒川伸弥




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