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土星期の母を、娘の視点で振り返る④一卵性親子。雪の日のおにぎり。

赤裸々に書いているうちに④まできてしまいました…。
前回の記事です。

土星期の母を、娘の視点で振り返る③
家系の因縁について。浮気。代々続く家ほど、意識しなければならないこと。母のリリスIC合による影響。

母と子の二人三脚…いわゆる核家族で育ちました。母方の親戚は、ろくでもない人が多い(親戚もいじめっ子だった)とのことで縁切りしており、父とは離婚。なので、親戚付き合いはほぼ皆無です。楽といえば楽ですが、これは閉鎖的環境で、良くない一面もありました。


食べるの大好き、外食したい月蟹座の母、
食べるの嫌い(会食恐怖症)カップラーメンで済ませたい
月牡羊座私。
そして、私の太陽と母の月クインカンクス(150度)…
ここから、見ていきます。

これまで書いたように、良好な部分もありつつ、数えきれないくらい喧嘩をしました。大抵、喧嘩する時は夜で、母は酔っており話になりません。母はASC魚座,月蟹座,海王星蠍座という、水星座のグランドトラインが効いているのか、お酒が大好きです。一概には言えませんが、お酒が好きな人って、海王星のアスペクトが目立つのではないでしょうか。特に、ASCや太陽、月との角度に注目します。

ASCのアスペクトに注目。土星も調和しているので、酒乱というほどではない。
木星は射手座にあって、最高のコンディションでもあります。


飲み会では、人との境界線を溶かして、わあーっと楽しむのが良いのでしょう。肝機能を意味する木星はMC合ですので、元々お酒に強い体質のようです。

そんな母を見ていると、お酒をろくでもないものとして捉えてしまい…封印しています。子どもの頃、養命酒やウイスキーボンボンを食べてしまい「美味しい」とか言ったり、現在も酒かす化粧水を好んで使ったり…、飲めない体質ではないと思います。ワインを美味しく飲めるようになりたいのですが「ん゛ぐっ!?」となってしまい、よく分かりません…。

四気質で言うのなら、母はお酒を摂取すると胆汁質が強く出ます。お酒を飲むことで、抑圧されていた気質がむき出しになるのですね。
悪口、罵倒や物に当たりますので、子どもの私は部屋にこもって耐えるしかありませんでした。

それで、ある時に「怒りの日」という日記を付けはじめました。理不尽な想いを綴る日記でしたが、加えて母の怒りのパターンを分析していました。すると、去年も年末に怒っていたな、とか分かるのです。怒りポイントとしては、ダラダラしてないで家事をもっとやってほしい、気が利かない、という点でした。

母一人で、全てこなしているのですからストレスが溜まるのは分かりますが、私からすると…どこか会話に違和感がありました。洗濯物、アイロンがけ、掃除もやっているのに、全然できていないと言われ、え?やってるけど?と思います。母は拘りが強く、自分のやり方で相手もできないと不満になるのです。例えば、雑巾は雑巾でも、使う場所によって使い分けていていますが、相手からするとその差は分からないものです。それで違う雑巾で拭くと、できていない!と怒るのです。
その決まりを事前に伝えておくという感覚があまりありません。
この違和感こそが、私の太陽と母の月によるクインカンクス(150度)です。母の方が感情むき出しになります。

それからある時、母の方から、自分は何らかの発達障害があるのかもしれないと言われました。上記の他、①の記事にて、
「母はあれこれ教えたとしても、勉強の仕方そのものが分からなかったからです。授業で先生の話を聞いて、ノートを取ることが苦手でもありました」
と書きました。
もしかしたら、そうかもしれません…。

「怒りの日」日記が功をなしたのか、大人になってからインナーチャイルドの存在に気付いて、言い返せるようになりました。水筒を扉に向かって投げつけて「分からずや、自分のことばかり言って。〇んでしまえ!!」って怒鳴ったことがあります。やっと言えてスカッとしました。
もう涙も出ません。

……言ったから分かりました。後々、後悔するものです。

これも胆汁質の特徴なのですが、激高した後は「またやってしまった」ってしゅんとするんですよ。それから、ケーキとかあれこれ買ってきて、まあ、あれだ…なんて、渋々話はじめる。
これは、胆汁質にとって「ごめんなさい」という意味なのです。

私は気質について、必ずしもネイタル(出生図)から断定できないと考えています。環境的要因が大きいからです。

母が感情を抑圧してしまった原因は、食堂で働いていた時の癖です。
お客さんに対してへりくだることが多く、自分を下に下に見せていました。人の裏を読み、相手の欲求は何かを常に考える。自己肯定感の低さ。
これが良い意味でも悪い意味でも沁みついてしまったのです。


こんな感じで、一時期は毒親じゃないかと調べたほどでしたが、毒親というよりは"一卵性親子"ですね。それからアドラー心理学の課題の分離についても考えており、どちらかというとお母さん側の「子離れ」の問題かと思っています。
2人でヨガへ行ってたこともありますが、私が休むと母も行かないのですよ。母が休んでも私は行きますが 笑

この様に書けるようになったのは、私がある程度仕事に出て、自分の判断で動ける年齢になったからです。それから、鑑定を依頼したり、占星術の勉強をしたことが大きいですね。
母と子という関係から、女と女という立場へ変わりつつある今日この頃です。

さて、母の木星期に関するお話ですが、続きがあります。
母が49歳の頃、冥王星が山羊座へ入宮しました。山羊座に太陽、水星、土星がある母にとって、厳しい現実下に置かれました。まあ、冥王星が射手座に位置していた時も、ネイタルに木星、金星、火星がありますからね……。

この頃、私は16歳です。まだ、父からの養育費が振り込まれていたので、何とか生活はできていたものの…高校を卒業するところで、美大を目指して一浪しました。この辺から、生活が厳しくなってきました。
結果、願っていた大学への入学は叶わなかったものの、現職に関わるための資格を取得して卒業できました。ここまでの過程が、また一苦労でした。

母には妹がおり、この時期に祖父が他界しました。
一時、実家へ戻って暮らしていたのですが、実質は妹の家のようなもので、母は家賃を払って暮らしていました。一応は妹を立てたのでしょう(妹は独身、実家で暮らしていました)
1階の食堂はすでに店仕舞いしており、代わりにテナントとして貸していました。実家に戻った理由の1つとして、地主から、かねてより土地自体を売って(戻して)くれないかと相談されており、そろそろ受け渡ししようと考えていたのです。よく会ううちに「一度うちに戻れば?」ということになりました。
これも良くなかった…。
そこで発生するのは相続。母と妹は揉めて、裁判一歩手前になりました。

ある時に、毎回印鑑を押すは面倒だから、私(妹)の名前で統一してほしいと言われ、母は深くとらえず「良いよ」と言ってしまいました。そのこともあって、書面上で母は劣勢となりました。
妹は、このことを分かっていたはずなのに…と、今でも母は言っています。
最終的に、数百万もの分与の差が出た状態で、2人は絶縁しました。

この数百万円があったら…と今になって思いますが、私は幼い頃、妹さんにお世話になったのです。あの時とても楽しかったから、責める気持ちにもなれず、どうしてこうなってしまったのかな、と思うばかりです。姉と妹、本当に死ぬまで会わなくて良いのかな、と。
やはり、8ハウス沙汰は厄介です……。

家が定まらない理由についてみていきます。

私と母のチャートを見比べますと、このようにICのルーラー(支配星)が水星です。水星ってとても動きが速い惑星で、公転周期は約3か月。伝令の神ヘルメスが、神々の間を行ったり来たりしているイメージ。
つまり、ICに双子座か乙女座が位置していると一生を通して引っ越しが多いと言われています。
そのせいか、私はこれまでに9回引っ越しを経験しました。約3年に1回の引っ越しという換算です。それも、出張ではなく別の理由でです。
③の記事の通り、ICリリスによって訳ありを引き抜いてしまう母の性質が関わっています。あまり詳しく書くと障りそうなので、どうしようかな…というところです。

結論、幾度となく繰り返される引っ越しにより、生活費が底をつき、差し押さえ手前までいきました。私はホームレスになるのかと思い、いつ管理人が合い鍵によって侵入してくるのかビクビクしていました。今でも、そういった悪夢をみます。

大学って思っている以上に費用がかかるものです。正直、奨学金をもらっていても母子2人だと厳しいところがあります。学費だけじゃなく、交通費などあらゆる雑費がかかってくるので。バイト代を稼ぐほどの器用もなく、申し訳なかったと思います。
毎月ギリギリ、数百円握りしめて行ってましたし、大学も滞納が積み重なって除籍の通知がきました。
既に再婚していた父へ頭を下げに行き、お金を貸してもらった時「僕にも家庭がある」と言われ、屈辱感さることながら。何とかしがみつくようにして教育実習と学芸員実習を受けました。

この頃のことを、母は「雪の日のおにぎり」と言います。
母は私が大学生になった頃、ケアマネージャーの資格を取得しました。合格した後は、最後の関門で研修を受けなければなりませんでした。しかしながら、その会場へ行くまでの交通費さえありませんでした。
研修は1度も休んではいけませんでしたので、何キロも離れた先の会場を電動自転車で通っていました。そして、最悪なことに、大雪に見舞われたのです。
母は冷凍品のおにぎりをお昼ご飯にして、私にありったけの数百円を渡し、よく自転車を漕いだものです。

この経験が、この後の人生へ影響しています。

風呂に入りたくてもガスが止まったら、ポットで沸かして水を加えて調整すればいい。
エアコンが止まった時は裸になりました、私。死ぬかと思いましたけど、もう恥だのなんだの言ってられない。
お金を振り込むと、すぐに復旧するのです。単純だなと、馬鹿になって笑いました。

あの時は必死だったから、一卵性親子、課題の分離、毒親?そんなこと言っていられませんでした。本当に。
こうやって分析できる今が、幸せなのです。

感謝と健康がすべてなのですね。

貧乏だったけど、2人で笑い合ってたからか何とか乗り越えました。
次の記事で最終回にしたいです。



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