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7話 未来に架ける道筋

この日は一生忘れないだろう、という日がきっと生きているうちに何度かあると思う。その日を境に、澱んでいた川の水が澄んで、さらさらと流れ始めるような。

9月22日。
まさにそういう体験をした。

この日、過去に枝分かれした幾つかの道が、このタイミングで連続して交差し、溶け合い、解き放たれた。極めて抽象的な表現であらわすとすると、そんな感じ。

閉ざしておきたい過去や、向き合いたくないと思う出来事は、誰しもあるかもしれないが、わたしにとっても、心の底でずっと重しとなってひっかかっているものがあった。

わたしは、問題の原因を過去の出来事に起因するものと決めつけるのは違うと思っているし、自分の望みが過去の欠乏感によるものから生まれたものだとするのも違和感がある。
「わたし」という存在は環境に影響を受けるという一面もあるかもしれないが、そんな弱々しい存在ではなく、自分次第で環境を選び、望む世界を未来に作ることができるパワフルさを持ち合わせているのだと思う。

まず、自分の心を徹底的に守る段階が、自分には必要だった。外側の反応を遮断したり、一人になれる時間を確保したりする工夫がいる。そういう時間を持ち続けると、外側からの刺激に揺さぶられて、自分を見失うということはほぼなくなっていく。外側からの刺激に、感情が揺れ動くこともあるが、その感じ方に意識を集中することで、俯瞰した立場から、自分の内部に取り入れたくないものは受け流すということができるようになった。そのときに、ざわざわするとか、嫌な感じがするとか、そういう感情をヒントにした。

そうした段階を経て、抵抗のあるものとか、恐れているものとかに、一歩踏み出せる力強さが生まれてくる。ただ、一生逃げ続けてもいいと個人的には思うけれど。そうしたいのであれば。
わたしは、向き合うことを選んだ。克服したいとか、和解したいとかそんな思いはない。過去の重しを取り払いたいとか、そんな思いもなかった。ただ、どう自分が感じるのか試したかった。

だから、外側の反応はどうでもよかった。自分の気持ちに寄り添い続けること、自分の素直な思いを伝えることを目的にした。すると、以前感じていた恐怖はまったくなかったし、おそれていたことは何も起こらなかった。

すると、目的は、自分の気持ちを大事にするということにあったはずが、思いの外、欠乏感や心の底にあった正体のわからぬ恐怖から解き放たれていった。
これから先、また、自分の心に湧き上がるネガティブな感情はあるだろうが、今回体感したことは、未来を変える出来事だったように思う。

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このノンフィクションのストーリーは週1回投稿していきます。時系列に沿っていないことが多いです。
この日記は「ギャグのような、ほんとのはなし。」というマガジンに格納されています。

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