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愛される価値

感謝を言葉でも、態度でも伝え切れない時、どうしたらいいのだろう。
与えられたものより、もらったものの方が多いと思える時はどうしたらいいのだろう。

学校でも教わらないこと。

親からも教わらないこと。

わたしには分からなかった。
だから、そこまでしなくていいよ、と先に予防線を張っておいたり、素直に受け取ることができなかったりしていたんだ。

先日、5月末で退職するわたしのために、お別れ会が催された。終始、わたしは、ドギマギしていた。そんな時にも、

「こんなにもしてもらっていいのかな?」

という思いが湧き上がってくる。

どんな風に気持ちを表したらいいのだろう?

お別れ会の最後に自分の気持ちを話す場面があり、わたしはそのままの気持ちを素直に言ってみようと決めた。何を言うか全然決めず。

みんなの顔を見渡した。一人一人、目が合った。
わたしは、自分が思った以上に愛されているし、自分の見せたくない部分、見せていないと思っていた部分すらも認めてもらっていたんだと確信する。

それだけで十分すぎた。
そして、自分に何か特別な価値などなくても、ここにいていいんだよと、受け入れてくれていた場所があったんだと思うと、幸せすぎた。

そして、本来、誰しも、その存在自体に価値があり、その人が自分自身を生きている限り、誰かの心に種を蒔くものなのだと思った。

自分の話が終わった後、わたしは人知れず、うずくまって泣いた。隣で同僚が察して、背中をさすってくれていた。

感謝を言葉でも、態度でも伝え切れない時、どうしたらいいのだろう。
与えられたものより、もらったものの方が多いと思える時はどうしたらいいのだろう。

今の答えはこうだ。
そのありがたさを、思い続けたらいいんだと思う。そして、思い続けられなかったとしても、心の中に伝え切れなかった思いは蓄積されている。

そうしたら、また、新たな場所で大切な人に出会った時に、返せなかった思いを違う形で表すことができるんだろう。そうやって、エネルギーは循環し、広まっていくものなのかな。そんな気がした。

#エッセイ #コラム #考え事 #哲学


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