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9話 街灯に想うこと。

その日は電車で移住候補先に向かっていた。窓の外を見ると、景色がみるみるうちに移り変わっていく。これまで移住地探しのため、数多くの場所に出向いてきた。ぱっと見た感じ、山や森の風景になんら違いが見られないように感じるのだが、回数を重ねるごとに、森の緑の濃淡や、住居の雰囲気や、川や畑などの景観の微細な違いを感じ取れるようになってきた。

とある地域で、森を散策するというフィールドワークに参加させていただく機会があったが、森が原生林で構成されているか、人工林でつくられたものなのか教わった。今なら、その違いを見ただけで判別できるようになったが、言われてみないと気がつかないものだ。

わたしは、学習とは、物事を捉えるときの解像度を高め、人生を豊かに感じるためのものだと思っている。
だから、「なんのために勉強するの?」の問いには、「より人生を豊かに味わうため」と自分なりの答えを持っているが、親や先生の求めるものは点数や評価に執着されがちで、本来の目的とはかけ離れたものになっている。みんな、そんなこと望んでないはずなのに。(自分が中高生のときは、勉強するのは受験のためと割り切っていた)

話はずれたが、移住や自分の仕事をつくることも、そのプロセスは「学習」なんだと思わずにはいられない。自分の知っている世界や、既存の価値観は、どんどん覆されていく。だからこそ、こうやって学習の軌跡を書き綴っているのかもしれない。

ひとことに学習といっても、そこには二つの意味を含んでいる。知識や教養は付け加えられ深められていくように思われるが、価値観や思い込みは解き放つことでどんどん自由に軽くなっていく。終わりなき旅。

帰りがけ、もうすっかり日は落ちて、一瞬にして真っ暗に。電車の窓から街灯のあかりがぽつぽつと見えたが、都会の明るさはそこにはない。毎晩、当たり前のようにランニングできていることも、当たり前じゃないのだと思い知る。便利さが染み付いて、当たり前になっている自分。悪くないのだが、なんだかな。今見えている自分の世界だけが、世界じゃない。外れることで見えるものがある。こわいのは没入していることすら知らぬまま、生きること。

どうせなら、この街灯のありがたさを感じながら生きる人生を生きたい。いろんな生き方の中から、自分のぴったりの生き方を歩めたら、これほど幸せなことはないだろう。

街灯はだれか特定の人のために照らしているわけではないが、その灯りのおかげで歩ける人がいる。だから、自分が好きに輝いていたら、その輝きにだれかが勝手に励まされたりするのかな、そんなことを考えながら、街灯をずっと眺めていた。


#エッセイ #移住 #旅 #移住計画 #日記


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