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表現
以前、自分がノート(紙)に書いた詩を読んでいた。それを読んでいると、とても痛ましく思える。こころが痛くなってくる。
そこには、好きな人に対する思いを思うがままに書き連ねられており、それがハッピーなものであったとしても、読んでいて、なんだか心が疼く。
これはなんだろう?
自分のこころの一番見てはいけない「秘密の扉」を、不意に開けてしまった、そんな感じがする。
そこには、相手意識はなく、「詩を書く」という行為で完結していた。
「相手に認められたい」という人ほど、相手意識を持っていない。なぜなら、ありのままの自分を見てほしいのであって、自分にベクトルが向いているからだ。
わたしは長らく、「認められたい」という意識の中で生きており、そのくせ、人からどう見られるかが不安で仕方なかった。
そういったアンバランスな精神状態を保つには、自分の世界の中だけで表現していくこと、それが、痛ましい「詩」の結果なのかもしれない。
今書いている「詩」は、大きく捉えると、自己表現という意味で、以前書いていた詩と同じカテゴリーにあたるかもしれない。
ただ、今書いている詩は読んでいても、こころは痛くならない。
表現の出発点は、「自分の思いを昇華したい」というところから始まり、それは変わらない部分であるが、自分が「自分の思いをどう解釈し、どう表現したら気持ちがいいだろう」ということを考えた上で、アウトプットしている。
自分のもう1つの目で、思い(内言)を見つめ直すというイメージ。
今の方が、自分の表現活動としては、表現する時も、その後も、気分が良いので、自分にはこのやり方が合っているのかなと思っている。
相手意識という点は、どう伝えれば届くかなと考えるし、認められるとやっぱり嬉しいもの。でも、それを考えすぎると、「自分の思いを昇華する」ということに影響を受けてしまうので、バランスを見ながら、アウトプットするのがいいのかもしれない。
人それぞれ、表現活動の仕方は違うと思うけれど、自分に合う表現活動で続けるのが一番良いと思う。
眠れなかったから、考え事。(昼間寝すぎたね)
おやすみなさい☾
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