![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/3181628/rectangle_large_8814dff6d1e3d57e4e7274f935d70eb8.jpg?width=800)
決別
この前、ある方と電話した時に、
「ここへ来るのに道わかりますか?」
と聞かれた。
わたしは、すぐさま、
「はい、調べたらわかると思うので大丈夫です。」
と答えた。
電話を切ったあと、キツく言い過ぎたのではないかと、後悔するとともに、何でも携帯電話に頼って調べて済むっていうのは、どうなんだろうと考えた。
ここからの文章は、批判を受けることも覚悟で書いてみる。
わたしは、noteを始め、facebook、twitter(ほとんどしない)、ブログ(最近始めた)などsnsを活用しており、携帯電話がない日々は考えられない。充電が切れたら焦るし、ちょっと時間が空いたらチェックしたくなったりする。
依存?
それはまだいい。
でも、自分がおばあちゃんになった時、
「わからないから調べてみるね」
と、携帯をポチポチしている姿を想像すると、悲しくなった。
わたしは、よく街にいる人々を観察し、携帯電話を続々と触っている姿を見て、恐ろしい気持ちになっているのだが、自分も恐らく結構な割合で、その一部になっていることに愕然とする。
何が問題なのか、いろいろあると思うのだが、「希薄化」
わたしはこの一点に尽きると思っている。
人間の希薄化...教養、思考力、感性。
人間関係の希薄化...この部分はよくわからないけど、lineなどが顕著に表面化しているかな。
苦手なところは補ったり、成長や向上のために活用したりするのは良いことだが、何でも頼って、人間の中身は空っぽになるのは悲しすぎる。
おばあちゃんになった時に、雨や花の名前を語れるようになっていたいし、自分の生き様が現れるような言葉を話したいし、身の周りのものをはっきりと鮮やかに感じていたい。
だから、携帯電話とは、ある部分において決別しようと思う。
ですが、
人それぞれの付き合い方があると思います。
サポートとそのお気持ちは、創作や家族の居場所づくりのために還元できたらと思ってます。