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はじめて詩を書いた日から。

なぜ、私は書くのか。

行き着くところは、そうだ。
はじめて詩を書いた日のこと。


✳︎


小学校2年生の時、
「詩を書く」という宿題が出た。

私は迷わず、弟が産まれたことを詩にしようと思った。

幼い私にとって、
「家族が増える」ということは鮮烈すぎる出来事だった。
家族の中で、今までは一番歳下だった私。
自由気ままに過ごしていた。天真爛漫だと評されたこともある。

「おねえちゃんになる」
それは、純度100%、嬉しさしかなかった。


どんなことを詩にしたのだろう。
残念ながら、それはもう手元にはない。
けれど、詩にした時の感情はうっすらと覚えている。

きらきらして見えた。
自分の詩。大切な宝物のように思えた。

無条件に嬉しかった。
「言葉にできる」ということが嬉しいことなんだ。


「書くこと」の原点は、きっとここにある。

言葉になる前の
心のなかで漂う
きらめく感情を。
沸き起こる高揚を。

ひとつひとつ、
大切に拾い集めるように
言葉にしていくこと。

それは、私には宝探しのようだった。
その愉しさを知ってしまった。

だから、私は「書く」


✳︎


思春期に入って、家庭が崩壊した。
両親は毎日のように喧嘩をし、受験前の姉は激怒し、弟は泣き、私は沈黙を貫いた。

その代わり、詩を書いた。

言葉にできない
ドロドロした感情の
置き所を探して。

傷ついた心を
誰にも届かない場所で
自分自身で癒すために。


私は、「わたしのために書いた」


✳︎



精神的にボロボロだった私を救ってくれた人。音楽。本。
どうしても感謝を伝えたい人がいた。
けれども、伝えることはできないまま、月日は流れた。今も伝えることはできていない。

ぐるぐると自分の中で渦巻く
届かない想いの行き先。
届かなくとも言葉にしたい。

感謝の想いの行き先を
どうかやさしさで溢れる場所へと。


私は、「たった一人の誰かに向けて書いた」



✳︎



きっと、私は書き続ける。
感情と言葉の間にひっそりと佇む世界。
その世界の中で幼い頃の私のように遊んでいたい。
その世界から、希望の光や癒しの泉を見出したい。

だから、私はこれからも書き続ける。




藤原華さんの企画に参加させていただきました。

どうしても思春期の頃のことを書こうとすると、涙が出てきてしまう。
今回も泣きながら書いた。

けれど、私は「書くこと」が、もうほとんど「自分自身」になっている。
それくらい大事で、エネルギー源で、癒しで、希望なんだ。

そのことをあらためて強く感じる、いい時間を過ごさせてもらいました。

藤原華さん、このような機会をいただきありがとうございました♩

サポートとそのお気持ちは、創作や家族の居場所づくりのために還元できたらと思ってます。