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橋のはなし

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人類の三大発明といえば、「道」「階段」「橋」である。中でも、橋は、河を渡るための手段として始まり、創造的思考に基づいて様々な発展を遂げて現在に至っている。その架橋の歴史と美しい姿…
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28.ブレークスルーを実現ー英国アイアン・ブリッジ

石材・木材から鉄へのイノベーション  橋梁の構造材料として多用されている石材やコンクリートは、引張強度は低いもの圧縮強度と剛性が優れている。そのため、圧縮力のみが作用する石造りアーチ橋の発展を支えた構造材料である。  特に、石材の代替となるコンクリートに関しては、弱点とされる引張強度を、鉄筋コンクリートやプレストレス・コンクリートなどの複合化技術により改善することで適用範囲を著しく拡大した。  一方、軽量な木材は引張強度、圧縮強度、剛性(弾性率)共にバランスの取れた構

27.異彩を放つ英国の木造橋ーケンブリッジの数学橋

石造りアーチ橋から木造アーチ橋へのイノベーション  古代ローマ帝国の建国は紀元前753年とされているが、その最盛期には、欧州各地でアーチ水道橋が建造された。スペイン・セゴビアの中心部に建造されたセゴビア水道橋(Aqueduct of Segovia)は、現存する水道橋の中でも最大規模である。   紀元1世紀頃に建造され、中央部分は2層構造(2階建て)で高さは基礎部分を含めて最高で28mに達する。橋長:728m、全幅:4mの花崗岩製の多連アーチ橋で、スパン:約6mの半円アー

26. 欧州で最も古い木造橋ースイスのカペル橋

欧州の屋根付き木造橋  欧州では、木造橋の建設は15世紀に入って活発化し、17~18世紀に最盛期を迎えた。特に、スイスのルツェルン出身のヨーゼフ・リッターとトイフェル出身のハンス・ウルリッヒ・グルーベンマンは18世紀後半にスイス・ドイツで木造橋を多数建設している。  その多くはアーチとトラスを組み合わせた構造で、長いスパンを架橋することで人々に衝撃を与えた。現在でも、積雪量の多いスイス・ドイツ南部には、耐雪対策としての屋根付き橋が多く観られる。  こんにちでも、グルーベ

25.天才のひらめき!ーダ・ヴィンチのサルバティーコ橋

国内での木造刎橋の発展  正確な架橋年は不明であるが、「甲斐叢記」によれば、1226年(嘉録2年)の文書に「甲斐の猿橋」の記載が見られる。  1662年(寛永3年)、加賀藩5代藩主の前田綱紀の指図を受けて、外作事奉行の笹井正房が「越中の愛本橋」を架橋した。  室町時代の旅行記「回国雑記」には、1486年(文明18年)に聖護院の門跡道興准后が記した紀行文では「日光の神橋」を訪れており、当時広く知られた橋で、橋脚のない刎橋形式であったことが伺える。  1636年(寛永13

24.現代の浮橋へと続くー越中の神通川舟橋ー

橋の起源について  『橋の起源に関しては、川を渡るために飛び石を利用したり、川をまたいだ風倒木の上を動物が渡るのを見て考え出された。また、猿の群れが深い谷を渡るときのモンキーブリッジを見て、谷を渡る方法として考え出されたなどの諸説がある。』と記した。  いずれも想像の域を出ないが、人類が自然の中で情報を収集し、橋というアイデアを見つけ出したことは間違いないであろう。これを積極的に発展させて利用したのが、石橋、板橋、吊橋へと発展したと考えられる。その背景には、川や谷を渡る

23.イノベーションを積み重ねたー周防の錦帯橋ー

情報を収集して何が問題かを明らかにする  深い谷のように橋脚を立てるのが困難な場合には、桁橋に替わる新たなアイデアが必要である。古の時代にも、創造的思考によるイノベーションが起きた。  国内では、豊富な木材を利用した片持梁橋のアイデアが実用化され、刎橋(桔橋)形式が広がった。「甲斐の猿橋」、「越中の愛本橋」などなど。  一方、広い川幅への対応では、川中に幾つもの橋脚を立て、その上に橋桁を渡して橋床を敷く「桁橋」の適用が広がった。しかし、洪水が起きるたびに橋が流失する事

22.何が問題かを明らかにするー加賀の「こおろぎ橋」ー

情報を収集して何が問題かを明らかにする  深い谷のように橋脚を立てるのが困難な場合には、桁橋に替わる新たなアイデアが必要である。古の時代にも、創造的思考によるイノベーションが起きた。  国内では、豊富な木材を利用した片持梁橋のアイデアが実用化され、刎橋(桔橋)形式が広がった。「甲斐の猿橋」、「越中の愛本橋」などなど。  当初、日光の神橋も同じ刎橋形式であったが、1636年(寛永13年)の東照宮建替工事の折に、「神橋」は刎橋と桁橋との折衷構造の素木造りの橋に架け替えられ

21.残ること残すことの大切さー日光の神橋ー

日本三奇橋について(その2)  国立国会図書館HPのレファレンス共同データベースによれば、三奇橋の記述がある書籍として4冊が紹介されている。  「日本名数辞典」(1979年、東京堂出版)では、三奇橋として山口県の「錦帯橋」、山梨県の「猿橋」、富山県の「愛本橋」をあげている。  「名数数詞辞典」(1980年、東京堂出版 )では、「錦帯橋」、「猿橋」、「愛本橋」をあげ、一説として愛本橋のかわりに栃木県の「神橋」、徳島県の「蔓橋」を入れるとある。  「日本三大ブック」(1

20.学びに基づく進化を観るー越中の愛本橋ー

何故、越中の愛本橋が架けられたのか?  北アルプスを源とする黒部川は水量が多く、立山連峰に挟まれた峡谷を急勾配で流れ下り、峡谷を抜けると日本海に向けて最大半径13.5km、扇頂角約60℃の大きな扇状地を形成している。  扇状地では、雪解け水に豪雨が重なると「あばれ川」と化し、川筋も一筋に定まらず、幾筋にも分かれて流れたことから「黒部四十八ヶ瀬」とも呼ばれ、北陸道の難所の一つであった。  越中とは現在の富山県のことで、「愛本橋」は黒部川が峡谷を抜ける最終地点に架けられた

19.イノベーションを起こしたー甲斐の猿橋ー

桁橋から片持梁橋へのイノベーション  文明が発展したメソポタミアや中国沿岸地域とは異なり、国内では森林資源が豊富なため、石橋とは異なる木造橋が独自の発展を遂げた。  特に、深い谷のように橋脚を立てるのが困難な場合には、桁橋に替わる新たなアイデアが必要である。古の時代には、創造的思考によるイノベーションが必須であった。  国内では、豊富な木材を利用した片持梁橋のアイデアが実用化されて大きく発展した。  一方で、深い谷を渡る吊橋に関しては蔓に代わり高強度の鋼鉄線が開発され

18.屋根だけでなく壁も付けたー廊下橋

 日本で多用された木造橋の大きな課題は、その耐久性の向上であった。そのため、雨水の侵入を防ぐ「屋根付き橋」が架けられた。この屋根付き橋の発想は、部屋と部屋とをつなぐ「渡り廊下」につながる。  一方、目的は異なるが、屋根だけでなく塀や壁まで設けた廊下橋の存在も古くから知られている。  寄藻川に架かる宇佐神宮の呉橋  大分県宇佐市の「宇佐神宮」は、全国に4万社あまりある八幡社の総本宮で、応神天皇が725年(神亀2年)に現在の地に御殿を建立し、八幡神をお祀りしたのが創建とされ

17.雨水を防ぐ屋根付き橋ー愛媛の田丸橋ー

木造橋の耐久性対策について  過って、日本で多用された木造橋の大きな課題は、その耐久性の向上であった。現存する国内の木造橋の維持・管理に関して、土木学会木材工学特別委員会による調査結果(2011年11月)が報告されている。  報告書には、木造橋の耐久性能に関する1~7の項目が記されており、優れた耐久性を実現する筆頭に「屋根付き橋」があげられている。 屋根付き橋と上路橋の健全性は、他の構造形式と比較すると極めて高い 樹種の耐久性のみに依存した設計では劣化が顕著 同じ樹

16.人は何からでも学べるー京都木津川の流れ橋ー

学びの本質は観察にある  知識を得ることは大切なことである。知識を得るために、人は何からでも学ぶことが出来る。先人から学ぶことは当たり前であるが、堺屋太一の「歴史から学ぶ」、畑村洋太郎の「失敗から学ぶ」、安岡正篤の「論語に学ぶ」など、学びは人からとは限らない。  佐道健の「木を学ぶ 木に学ぶ」を読んで木の素晴らしさを実感することができる。重田康成の「アンモナイト学 絶滅生物の知・形・美/国立科学博物館」など形態学に関するものは興味深く、また奥が深い。  良く考えると「

15.完成された木造りの美しさー伊勢神宮の宇治橋ー

伊勢神宮で和橋を観る  飛び石に始まり、丸太橋のような単純桁橋が連続桁橋へと長大化する過程では、創造的思考に基づく多くの発明・発見と試行錯誤が繰り返されてきた。  これまでは石橋を中心にして、石造りアーチ橋にいたる「橋のイノベーション」を垣間見てきた。  一方、メソポタミアや中国沿岸地域とは異なり、国内では森林資源が豊富なため、石橋とは異なる木造橋が、独自の発展を遂げた。  すなわち、橋を架ける周辺状況や利用状況に応じて技術革新が進められ、様々な形式の木造橋が架けられて