17.雨水を防ぐ屋根付き橋ー愛媛の田丸橋ー
木造橋の耐久性対策について
過って、日本で多用された木造橋の大きな課題は、その耐久性の向上であった。現存する国内の木造橋の維持・管理に関して、土木学会木材工学特別委員会による調査結果(2011年11月)が報告されている。
報告書には、木造橋の耐久性能に関する1~7の項目が記されており、優れた耐久性を実現する筆頭に「屋根付き橋」があげられている。
屋根付き橋と上路橋の健全性は、他の構造形式と比較すると極めて高い
樹種の耐久性のみに依存した設計では劣化が顕著
同じ樹種においても心材と辺材の耐久性能の違いは顕著
防腐剤を加圧注入した材料は、樹種の選択、部材内(接合廻りを含む)への水の侵入がなければ薬剤の効能が認められる
定期的な点検とメンテナンスを実施している木橋の健全度は概ね良好
木口からの水の侵入防止は不可欠
水平に置かれた部材の上面割れは、内部への水の侵入を許し、内部の腐朽を促進させる
2個以上の部材が接する場所や水が溜まる部分は水はけを悪くし、腐朽の原因になっ たと推定される事例が多い
弓削神社の参道に架かる通称「太鼓橋」
愛媛県の内子町と大洲市河辺には、古くからの生活橋として屋根付き橋が数多く観られる。
愛知県喜多郡内子町石畳の弓削神社の池には、参道である通称「太鼓橋」が架けられており、見事な屋根付き橋である。
橋長:22m、全幅:1.5m、高さ2.3mの弧状4径間桁橋である。池底から主桁までの最大高さ:8.125mで、屋根は杉皮葺きで、棟木には孟宗竹が使われている。
静水のため池底に寝かせて埋め込んだ松丸太を基礎として、その上に耐久性に優れた直径:30cmの栗丸太の心材2本が橋脚(補助の斜交い1本あり)として建てられ、主桁には直径30cmの松半丸太が使われている。
橋のたもとに設置された「弓削神社の由来」によれば、創建は室町時代初期の1396年とされている。
伊予国の豪族河野氏がこの地を去るにあたり、旧支配地であった弓削島の弓削神社から天照大御神を勧請し、神社を自らの城に見立て、周りに池を築いて「掘り」とし、中央に橋を架けて神を祀ったと記されている。
「太鼓橋」は、当初から耐久性を考えて架けられた屋根付き橋でないであろう。神域へと渡るための特別な橋として屋根が付けられたと想像される。
多くの神社の太鼓橋に名前がない様に、弓削神社の屋根付き橋にも正式名称はない。建造年から考えると、弓削神社の屋根付き橋は、内子町の多くの屋根付き生活橋の原型になった可能性が高い。
太鼓橋を渡ると、その奥には明治30年(1897年)に改築された社殿に詣でることができる。境内には見上げるばかりの椎木の巨木が茂っていた。
麓川に架かる田丸橋
愛媛県喜多郡内子町の麓川の中流域に架かる田丸橋は、2009年に司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」のテレビドラマ化でロケに使われた。
洪水で橋脚に流木が絡まり流された経験から、1943年(昭和18年)に架け替えられた橋長:14.08m、全幅:2.09mの方杖形式の杉皮葺き切妻屋根付き橋である。
橋のたもとには橋名を記した石柱の下に、2002年に土木学会から土木遺産に認定されたことを示すプレートが設置されている。
主桁は3本の心材を継いで長尺化し、両岸から張り出した斜め材がこの継梁を支えて補強し、方杖と方杖の間の主桁は二重構造になっている。通常、木造橋は8~10年ほどで朽ちる場合が多いが、田丸橋には流水につかる橋脚がなく、屋根を付けて雨水を遮ることで耐久性が増している。
また、農村地帯の屋根付き橋は、炭や農作物の保管、地域交流の場としても使われていたようで、屋根裏にはその様子を絵にして掲げられている。
ところで、深い谷を渡る橋や、道路上を横断する最近の陸橋や歩道橋などの複雑な構造にはラーメン橋(Rigid frame bridge)が採用される場合が多い。骨組みを意味するドイツ語の「Rahmen」に由来し、橋桁の途中に斜め材を剛接合することで強度を高めた構造である。
方杖ラーメン橋は、斜め材が橋脚の代わりをしている。
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