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25.天才のひらめき!ーダ・ヴィンチのサルバティーコ橋


国内での木造刎橋はねばしの発展

 正確な架橋年は不明であるが、「甲斐叢記」によれば、1226年(嘉録2年)の文書に「甲斐の猿橋」の記載が見られる。

 1662年(寛永3年)、加賀藩5代藩主の前田綱紀つなのりの指図を受けて、外作事奉行の笹井正房まさふさ「越中の愛本橋」を架橋した。

 室町時代の旅行記「回国雑記」には、1486年(文明18年)に聖護院の門跡道興准后どうこうじゅんこうが記した紀行文では「日光の神橋」を訪れており、当時広く知られた橋で、橋脚のない刎橋形式であったことが伺える。
 1636年(寛永13年)
の東照宮建替工事の際に、「神橋」は刎橋と桁橋との折衷構造の素木造りしらきづくりの橋として架け替えられた。

 1673年(延宝元年)、三代岩国藩主である吉川広嘉きっかわひろよしの指図により、木造多連式の反り橋そりばしである「周防の錦帯橋」が架橋された。

 以上のように、国内では鎌倉時代から江戸時代にかけて木造橋が発展し、刎橋はねばし形式から、反り橋そりばし(アーチ)形式へと年月を経て進歩してきた。
 一方、欧州では古代ローマ時代に石造りアーチ橋が発展し、15~16世紀には半円アーチから扁平円弧アーチへと技術革新が生じており、アーチ設計が格段の進歩を遂げていた。

ダ・ヴィンチのサルバティーコ橋

 イタリアのルネサンス期を代表する芸術家として著名なLeonardo da Vinciレオナルド・ダ・ヴィンチ、1452~1519年)は、建築・土木・機械・化学・生体・天文・軍事など、幅広い分野の発明家としても良く知られている。

 多くの手稿が残されている中で、「ダ・ヴィンチのサルバティーコ橋」は軍事目的の土木工学技術である。丸太棒を複数本使用することで、人力により釘などを使わず、短期間で架橋できる技術である。

 アーチ橋はアーチ形状の骨組みを架けてつくる橋であり、アーチ形状にすることで桁橋よりも耐荷重が大幅に増加するため長大化に向けた画期的なイノベーションであった。天才のひらめきであろうか!

 現在でも、この「ダ・ヴィンチのサルバティーコ橋」作る民間での催しが、啓発目的で開催されている。一度、試してみると原理が良く分かる。木と木の間の摩擦力で、アーチ橋の形態を維持している。

写真1 ダ・ヴィンチの描いたサルバティーコ橋 出典:手稿図は日本大学理工学部

 「ダ・ヴィンチのサルバティーコ橋」の概念は、必ずしもアーチ橋には限定されない。手稿では半円アーチに見えるが、使用する丸太の寸法と数量を調整することで、扁平円弧アーチも可能である。

 また、最小は6本の丸太で橋桁を構成できるが、この上に橋床を設置すれば方丈ほうじょうとなる。

写真2 最小は6本の丸太で構成できる橋 

ダ・ヴィンチのゴールデンホーン橋

 ダ・ヴィンチは、トルコ皇帝の依頼を受けて「ゴールデンホーン橋」の手稿も残している。コンスタンチノープル(現在のイスタンブール)の街を分断するボスポラス海峡に架ける橋長:240mの石造りアーチ橋である。

 当時、その橋は実現しなかったが、500年の時を経た2001年10月、ノルウェーの首都オスロ近郊に、全長:108mの人道橋「レオナルド・ダ・ヴィンチ橋が架橋されたことが話題となった。
 ダ・ヴィンチの原案より少し短い橋長:108mで、アーチ自体は三角形断面の集成木材に替わったが、外観は手稿に忠実に造られている。

ダ・ヴィンチの旋回橋

 また、ダ・ヴィンチは、旋回橋せんかいきょうという可動橋の手稿を残している。片側の岸辺に備え付けた支柱を軸にし、滑車で橋を旋回させる仕組みで、船の通行の支障にならないよう橋を岸辺に横付けする。

 1923年(大正12年)、同形式の可動橋が、京都府宮津市に廻旋橋かいせんきょうとして架けられた。名勝天橋立あまのはしだてと文殊堂のある陸地をつなぐ橋脚2基の3径間桁橋で、橋長:36.63m、全幅:3.50m、海面からの高さ:1.86mである。
 当初は、手動式で天橋立側の橋脚を軸にして、船が通るたびに2径間部分が90度旋回して船を通した。1960年(昭和35年5月)に電動式となった。

写真3 名勝天橋立と文殊堂をつなぐ回旋橋 出典:天橋立観光協会


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