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不健全を表現するカルチャーは健全な精神で触れていたいよね、という話

中高生のとき、V系(ヴィジュアル系)ロックとよばれる音楽を聴いていた。V系の中でも、ダウナーなもの、ダークなものを好んでいた。
(というか、当時V系がほとんどそんな感じだった。)
多感な時期だった。ダウナーな音楽は当時の私に寄り添ってくれたし、ダークな世界観は非日常に浸らせてくれた。
結果、私はダウナーでダークな厨二病女として仕上がっていた。
(今昔、バンギャはみんなそんな感じかもしれない。)

その界隈では、ファッションとして包帯だの血糊だのが使われているくらい、痛々しいほどカッコいいという価値観だった。精神の病も、退廃的で素敵なイメージとされていた。当時の私も、その思考をもっていた。

でも、ある時から、それらのものを受け付けなくなってしまった。うろ覚えだけれど、『ザ・ノンフィクション』のようなドキュメンタリーを観たことがきっかけだったと思う。内容は、ホンモノの傷や精神の病を抱えた、V系ロックファンの少女を追ったものだった。〜音楽に依存する子供たち〜みたいな副題だったかもしれない。
私が好きだったロックは、「こういう」人たちに向けられていたものなのだろうか。それに至らない自分は、そこまでハマりきれていないのではないか。そんなわけないのに、理解が及んでいないという劣等感を感じたこともあるし、ホンモノになりたいとさえ当時考えていたかもしれない。
界隈では、ホンモノ・バトル、ホンモノ・マウント合戦も発生していたと記憶している。

結局のところ心身ともに健康だった私は、「こういう人たちが真の理解あるファンと評される世界なら、その音楽は聴かないでおこう」という結論に至り、V系音楽から卒業となった。
その答えは、当時聴いていたバンドの解釈としては間違っていたけれど、自分自身のメンタルを保つためには正しかったと思う。


ここ最近、気になっていたファッション系インフルエンサーの若者がいた。その子は、パンクロック風――といえばいいのか、とにかく奇抜な恰好をしていた。
あるとき、その子にリストカット跡があることを発見してしまった。また最近は、オーバードーズを示唆する投稿が見られるようになった。
他のファンがちゃんとケアしてくれているようだし、本人も精神科に行くとも言っているし、ひとまず命は無事であるだろう。
でも、もう見ていられない。私はそっとSNSのフォローを外した。



私は音楽・ファッション・アートなどのカルチャーで、暗い、気持ちわるい、奇抜・奇妙なものを、カッコイイと捉えて好む傾向にある。そう自覚している。
時にはどっぷり浸りたいときもあるかもしれないけれども、私は別に、その世界観を自分事として捉えたり、共感したくはない。表現・創作物として楽しみたいだけだ。

例えばダウナーな精神があって、それによって生まれるアートもあるだろう。逆に、ダウナーなアートがあって、それに精神が引っ張られることもあると思う。
でも理想としては、表現する側も鑑賞側も、健全なメンタルでやっていてほしい。ホンモノの痛々しさを理解できてきた大人として、特に若い世代に対しては切に思う。


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