ショートショート「真夏の夜の匂いがした」
あの日、彼女から花火大会に誘われた夜、最寄駅から自宅まで歩いているとき、はっきりと真夏の夜の匂いを感じた。
懐かしいなにかの匂いに似ているけれどそれがなにか思い出せなかった。
いま、開けた窓からは同じく真夏の夜の匂いがする。そしてさっきまで抱いていた彼女の首筋からは甘酸っぱい汗の匂いがする。同じシャンプーで洗ったから髪の毛は俺と同じ匂いがする。赤の椿。
「二宮さん、ほんとは彼氏いるんでしょ?」
彼女に誘われるまま抱いてしまったけど、恋人がいることはなんとなく知っていた。知っていたのにのこのこデートに誘われて、誘われるままに抱いてしまった。
言われなくても罪悪感の渦中にいて、でも罪悪感より彼女と過ごしたい触りたい入れたい気持ちのが優ってしまった。わかるだろ?こういうの。
彼氏はいたけど先週別れたよと彼女が言う。いつもなら視線をはっきり合わせてくれるのに、今夜は視線を合わせないで言う。きっと都合が悪い話なんだろう。あなたがクズ中のクズと付き合ってたことも、たまに彼氏から殴られてたことも知っていた。SNSって怖いなそんなことも他部署の俺んとこまで回って来ちゃう。
クーラー入れる?彼女が聞く、ううんこれくらいでちょうどいい。俺が答える。
そっかよかった、わたしあんまりクーラー得意じゃなくて。暗闇で彼女の笑顔がぼんやりと浮かぶ。休憩室で笑っているときと同じ顔。
なあ俺下手くそじゃなかった?痛くなかった?大丈夫だった?
素人童貞ではない正真正銘の童貞だった俺はさっきの行為が正しいのかふいに不安になってしまう。
エロビの手順を頑張って真似してみたけど、二宮さんの反応はエロビの女の子のとはちょっと違くて、あれもしかしてやり方間違ってるのかな、もっとこうすべき?なんて試行錯誤しながらの行為だった。
二宮さんももうちょっと上とかもっと奥とかナビしてくれたから、ほんとそういうのありがたかった。
っていうかそれはつまり慣れてるってことか、そう考えると胸の奥がちりちりしてくる。このちりちりはなんだろう。ちりちりの理由を本当はわかっているのにわかっていないふりをしてしまう。
二宮さんは立ち上がると独り暮らし用のコンパクトな冷蔵庫から氷結を2缶取り出しどっちがいいと訊ねる。一本はレモン、もう一本はグレープフルーツ。じゃあレモン。さっきの質問の答えは保留。
だからと言って答えをすぐに貰うのも少し緊張する。ど下手くそって言われたらもう立ち直れないかもしれない。痛かったとか逆に小さかったとか早すぎるとかいい加減遅いとか、どこを突かれても泣いてしまう気がする。みんなどうやって自信を保つんだろう。
プルタブを立てて氷結を缶のままひとくち飲んだ瞬間に二宮さんの手が俺の首の後ろに伸びてきてぐいっと彼女の方に引き寄せられ、そのまま彼女の舌が口の中に滑りこんできたと思ったら口に含めた氷結の半分くらいを彼女に奪われた。びっくりしてアルコールが気管に入り、盛大にむせてしまった。むせている間にこほんと二宮さんが咳払いをする。
「僭越ながら総評です。とってもとっても上手でした。相手の気持ちいい場所をちゃんと知ろうとするところに好感が持てました。やっぱり、思った通り。センスあるよ」
御世辞だとわかっていても褒められると嬉しい。だって初めてするやつがうまいわけなんてないだろ、強さだってどれくらいですればいいのかわかんないし、第一場所がよくわからなくて、彼女に誘導してもらったくらいだ。なんてね、彼女は顔を傾げてから俺の胸の匂いをくんくん嗅いでからふと
「三島さんから真夏の夜の匂いがする」
と静かにつぶやく。
どんな匂い?絵の具みたいな懐かしいあの香り。そうだ、真夏の夜の匂いは絵の具のようなあの懐かしい匂いだ。
「また一個三島さんのこと知れた」
胸のちりちりが少し治って、代わりに心臓をきゅうと掴まれる音が、した。
【夏の背骨】
「背骨から始まる」
「サカナクション・コネクション」
「ナイトフィッシング ソー グッド」
「真夏の夜の匂いがした」
「蝉の背中」
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