わたしの日記を読んでくれた方へ

仕事を辞めたら、日記を書いて、発信しようと決めていました。
わすれたくない 温度のある やわらかな 繊細な 素敵な日々になると確信していたから、そしてそれは、わたしが生きていく限り 薄れ 思い出せなくなるものだと はじめるまえからわかっていたからです。
日記をつけるというのは、手離したくないからという意味でもあり、手放したいからという意味でもあります。
忘れたくない、覚えていたい、離れたくない 持ち続けていたい それはひとつの欲望で 煩悩です。それをずっと両手に持ち続ける限り、新しくほかのものはもてない。過去は過去として わたしの記憶や感覚を残しておく 仕舞っておく、そうして、放す。そして、忘れて 薄れて ぼやけていっても、また ひつようなとき あるべきときに 思い出せる。
わたしにとってのなにより大切なことは いまここに在る それと 思い出す ということです。

19歳の時、ご縁のあった4人で「19歳展」というグループ展をした時 その時に描いた日本画も ZINに載せた画像も 文章も すべて同じことを わたしは繰り返し繰り返し考えてきたように思います。

わたしにとって、日記を書くことは 絵を描くことと同じ意味をもちます。つまり、生きることそのものです。

わたしは結構めんどくさがりなので、はじめる時はわくわくでも、こんなに続くとは思ってもみませんでした。
人の目に晒される文章に 誰かを傷つける要素がないか 見極める過程の中で 自身の心に嘘をつくことがないか 悩むところはもちろんありました。けれど、苦になることはありません。だいじに だいじに 時には思いのまま ことばを紡いでいます。 わたしのために、だれかのために。

そうして紡いだ言葉を、本当にありがたいことに 受け取ってくれた人々がいます。それさえ、奇跡みたいなものなのに、受け取って、そして何かを考えたり 思ったり それをわたしに伝えてくれた人々がいます。
感想を伝えてくれたひと 読んでます と言ってくれたひと ありがとう。とっても嬉しい。ありがとう。
それがこの1ヶ月、どんなにわたしの力になったことか。
人と関わることが極端に減った退職後の1ヶ月でした。人と関わることができるというのは、あたりまえではないことを、知っていたはずでした わたしは。こわいものです、知っていたつもりが全く知らないんだと思い知るには、それをもう一度味わうことが必要で、それをきっとほとんどの人はしません なぜなら 知っていると思っているから。
わたしは知ったと 分かったと 思ったことを 何度も何度も 繰り返し 新しく考えて 考え続けて生きていこうとつよく思いました。

わたしが書いた わたしのための日記を だれかが その人の限られた時間を使って 目を 頭を 心を注いで読んでくれている。それはもう わたしにとっては愛なのです。大袈裟でしょうか。それでもいいよ わたしにとっては 愛だけど あなたにとってはちがう そういうことは他にもある。それでもいいんだ。 そうして生まれた愛を、わたしはまた みんなに返したいと思います。もしくは、全くの他人へ。それもまた同じことです 見知る他人へ注ぐのか 見知らぬ他人へ注ぐのか。
祈ります、わたしの日記を この文章を読んでくれているあなたへ 少しでも あなたにとっての幸福が すぐそばにありますように。少しでも あなたにとっての苦しみが そのあとそれ以上の喜びをもたらしますように。そしていちばんに、あなたがあなたを愛せますように。わたしがわたしを愛せますように。

この日記は、わたしが心と体に嘘をつかない、そうして、わたしをまるごと愛したい わたしの、足掻きの記録です。その端々にある 毎日の --いいお天気と風でやわらぐ心地良さとか-- --自分にふりかかる不幸を恨む気持ち-- --他人の成功や輝かしさを妬む気持ち-- --そんな感情をもつことのうしろめたさ-- --命を紡いでいく循環に当たり前に入っていけない なんとも言えないこの感覚-- を、毎日抱えながら、忘れながら そうして思い出しながら、意志をもって 覚悟と 選択を そうしたものに責任をとりながら わたしはいま 居ます。
この記録が、過去の私を いまのわたし 未来のわたし そしてすべての あなたたち/わたしたち にとって 救われる 報われる 許される 手助けに なりますように。
愛をこめて。

みなさまへ
いつもありがとう。
もっとお喋りしたいです。
もちろん、あなたの わたしの 魂に配慮をしながら 傷つける傷つくことがないように……なんていうのは 難しいのかもと最近思います。そして、傷つく事自体は全く悪ではないということ、そこから生まれる様々なものがあるということ、言い切れる物事などよっぽど少なく、曖昧な 移り変わりで グラデーションがあるということ。それでも、傷つくことを恐れて1歩も動けない暗闇があっても、喜びを求めて 明るい方へ踏み出せる そのときはいつか必ず来ます。わたしたちは 太陽の子どもで 水のいきもので 月と共にある。波のように 光の濃度のように 満ち欠けのように 変化がある。全てがわたしであるなら、全てがあなただ、すべてわたしたち そして、同じものはひとつとして無い。どうか、分かりませんように。分からないのだということを分かりますように。わたしたちが他人であることを 。想像力が 現実の全てを補うことはないことを。それでも考え続けることが 考え直し続けること 見つめ直し続けること それが大切だって わたしは思います。だから、つまり、ええと、これからもよろしくね。

感想 所感、とても励みになります。
みなさま 良い日々をお過ごしください。

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