2024.5.10(金) 所感 興味のないことが覚えられない わたしをわたしが認める わたしがわたしをみつける

なんだかさいきんよい言葉を紡げていないと感じていてちょっぴり落ち込んでいる、それは、わたしにとって よいことば

わたしにとってのよいことばは、善さと近いときもあれば遠いときもあるような、好いことば 呼んだとき よみかえすとき 匂うようなことば 香りなんていう小綺麗なものでもなくて むあっと ともすれば誰かのどこかの記憶を引き摺り出すみたいな つい、顔をしかめてしまうようなものでもいい 綻ばせるものでもいい とにかく 想起されることば
とにかくそれが生み出せていないのは、いまのわたしに熱が無いからだろう と思っている これは思い込み?

熱のあるものってなんだろう、と思うと 思い浮かぶのは怒り 怒りはどの程度であれ、比較的 どんなものにも 瞬発的にでも つよいエネルギーをもつ 強い感情 輪郭の定まったもの

よろこびやしあわせの感覚で、そんなふうに熱をもつものはあるのかな
きっとわたしが 世界から普段受け取っているよろこびは カッと燃え上がるようなものではなく 瞬間的な薬物のようなものでもなく 陰と陽でいえば 陰 静と動でいえば 静 そういうもので それは熱とはいえない……

熱のないまま 陰と静のまま、想起されるようなことばを紡ぐことはできるのかな わたしはどうなりたいんだろう

さいきん、怒りや悲しみから程遠い場所にいる……


やっと!回復食!
お粥とお味噌汁のあさごはん。あさごはん!
お味噌汁は沢山作って数日温め直しで飲むので、具材も入れたいけど固形物……と思った時に閃く。そう、私にはブレンダーという味方がいるんだった。大根を山盛り(食物繊維!)と山芋(なんとなく!なんかお通じに良さそう!)をクタクタに煮て、お味噌もとき入れたら火を止めてブレンダーにかける。途中「あれこれ……大根ブレンダーって……それ大根おろしやん……?」と思ったその通りでした。所謂みぞれ?になってすごく美味しい!天才。玉ねぎも入れたらもっと甘みが出て良かったな。
お米も今日のために前日から仕込んでおいてますがな。(超楽しみにしとる)バイト先で教わった秘伝の(?)やり方でお米を洗い、浸水させておいたもの。炊きあがりがやっぱり違う気がする。もっちりふんわり。でもお粥にしちゃいます。残りは冷凍。

ひとくちひとくち、感動しながらたべる。
なんておいしいんだ。。。いつもの2倍くらいの時間をかけて、噛みに噛みながら味わって食べる。あじわうこと、忘れてたような気がする……慣れとか 生活習慣 こわい。言葉とか情報量と共に、たぶん、食事量も回数も多すぎるんだ、いまのわたしにとっては。それが改めて認識できて良かった気がする。食べることが大好きなので、寂しいけど…。けど、沢山食べたいからといって エネルギーを常に使い続ける生き方は、しばらくの間はたぶん、できない、したくない。

おなかが満たされたので即片付けをして買い出しへ。
あくまで私の場合はだが、食べてのんびりしているとそれが癖になる。眠たくなるまえに動き出す。

スーパーに行くと、ゴールデンキウイが安売り!ううう大好き。沢山入っていて、バラ売りより安い割合になる値段。でも、高い!けど、安い!悩んで悩んでカゴに入れる。その他に明日フレンチトーストで使う材料を入れていく。普段、玉子と牛乳と納豆は毎日摂取しすぎて冷蔵庫から切らさないように買い続けていたけど、高確率で消費期限近くて(または過ぎて…)食べざるを得ない状況になることもあった。これも見直しな気がする。毎日食べたいくらい大好きでも、その大好きが薄らぐような無自覚の食べ方は わたしはいや。大好きで大好きで堪らなくて毎日嬉しがって食べるなら良し! ということで、一旦納豆は据え置き。体のことを考えると、牛乳もいつか減らしていきたいけど、こればっかりはだいぶ先になりそうだ。だって大好きなんだもん。

帰宅。買ったものを片付けて、今度は掃除に取り掛かる。姉と住んでいた頃より埃が本当に多く感じるのは、たぶん 沢山あるファブリックスの影響……と思うけど、そんなに無いか。埃って誰からうまれてくるんですか?

貪るように本を読む。少し前に借りてきたちくまブックス、めちゃくちゃ読みやすい……と思ったら10代向けって書いてあって笑っちゃった。

ここ最近……いや、きっとずっと前から 気づいてはいたけれど 恥ずかしいような 情けないような そんな気がして認められなかった……けれど、確信 やっぱりわたしは興味のないことに対してはぜんぜんまったく集中ができないし、ほんとに、全く 興味がわかない事はてんで覚えられないという特性を兼ね備えているみたいで、それをようやく認められるようになってきたから、ちくまブックスは私の心強い味方。
「読書の仕方」の方はやっぱり(やっぱり)あんまり興味がわかなかったけれど、それでも苦しくならずに楽しく1冊読める文章量、そんなちくまブックスは私の以下略。「生命倫理」の方はちょっと興味があるので、この著者の他の本 次借りてみようかなとメモ。

あのね、他の何か それは他人という広い意味ではなく……でも、同じことか つまりえっと、他人とは言えない 友人や 親しい人 大切な人 感覚の似た人の 興味のある分野に対して てんで全くすっとこどっこい興味がわかないというのは、わたしにとっては結構くるしいことだった。ごめんね、という気持ちになる。知りたいと、思えなくてごめん。覚えられなくて、ごめん。興味がなくて、ごめん……。
それはきっと、世の中の色々に興味があることや、色々とは言わずとも 自分の好きなことに興味がある 好きなことがある ということ自体に 憧れがあったのだ わたしのなかに。
だから色々なことに対して興味を持てないじぶんのことが 許せなかった。たぶん、学びを大切にしているというずっとずっと芯にしてきた地盤も揺らぐことだからだと思う。

でもね……ちょっと前から、認めてきてるの、そんなわたしのこと 簡潔に言えば 諦めてる でもねそんなにネガティブでもないの ただこころに すとーーん と入ってくるようなかんじで そうだよねーー って そこを変えなくちゃいけないと思ってたんだよねーーって でも変えられないよねーー って それって持ち味じゃなーーい?って 

人間って変えるとか変えられないとかそういう尺度ではみられないだろうって生きる度にそう思う、そうじゃなくて 変わるか 変わらないか  なんかそういうのは 小さな小さな毎日の積み重ねのときもあれば 運命的な出会いと衝撃からのときもある どちらにも共通しているのはやっぱり、気づき じぶんの気づき じぶんがじぶんに気づけるかどうかと それを認められるかどうかにかかってる だって認めないままは それは その地点は現在ですらない 今に居ないということは、進むことからはもっと 遠い

ちなみに、あくまでわたしの 個人的なわたしの場合はですけど、興味がないものは覚えられない。けど、興味がなくてもある程度覚えられる とか 色んなことに広く浅く興味があって 色んなことが覚えられる とか そういうひといるのかな??そういうひと、いるよな〜〜って思っちゃうけど、実際のところどうかは分かりませんね……。こりゃ聞き込みですかね。

黄体ホルモンの薬を飲んでから1ヶ月と少し。私の精神は飲み始めてからずっと 凪 凪 凪。それに対して良いのかな……これって自然なのかな……と不安に思ったこともあって、それは完全にはいまも拭えていないけれど、その凪のなかの 陰のなかの 静のなかのわたしを わたしの僅かな動きを 揺らぎを 譲れなさを 確固たる意思を 熱を 見出していきたい だから、もっともっとちっちゃくなって 静かになって 僅かになって、いい。それは諦めたくない。

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