2024.2.29 (木)いつかをきょうに 人間観察 同時並行で読み進める2冊の本 すきな気持ちと熱量 好い日

むくりと起き上がる。今日はないと思っていた2月の最後の日。有意義に過ごすぞ〜
いつものルーティン。身支度、レッツゴー!

久々の名古屋へおでかけなので、るんるんと上機嫌。

ずっと行きたかったカフェへ。いつかいつか をいつかのままにしてしまっていたので、そんな過去を払拭する為に。
開店の時間に合わせてぴったり到着。なにを食べるか迷うことは分かりきっているので、カフェに行く時は基本メニューを決めてから行く。もちろん、その時のお店の雰囲気とか くうきの感じとか なによりわたしのお腹の調子とか 体が欲しているものが何かとか 目で見た時のときめきとか、そういうのでまるっきり変わってもOK。
席に座って、わくわくで待つ。
最近はカフェに行くことが本当に増えて、なにを頼むか どんな風にして過ごすか わたしのなかでルーティン化してきて、いい感じ。今日は初めてのカフェだし、そこそこに自分のことをやりつつもその場所自体を楽しもう、と思う。
エチオピア 中煎りのカフェラテ めっちゃ美味しかった!多分、今まで訪れたカフェの中で1番。多分だけど、珈琲とミルクの感じがいまのわたしにとって丁度いいのだろうな。ラテのカップには取っ手がついておらず、掴む形に。両手で包み込んでふぅふぅして飲む感じも、すごくよかった。温度を感じて嬉しかった。

なんだか上品な、それでいてご近所に住んで居るような軽いお出かけの雰囲気の、老夫婦おふたりのお客さんが入ってきた。
注文をして、男性が私の隣のテーブルに向かって歩いてくる。そこがぴったり いつもの席 みたいに、通路側の椅子に腰掛ける。お会計を済ませた女性は私と同じ壁側の椅子へ。
こういうの、とってもいいと思う。とってもすき。どっち座る?とか そういうやり取りさえない2人の空気感がすき。見知らぬ他人が生きてきた空気感を感じ取るのがすきなのだ。わたしの世界はわたしの感性で進んできて居るけれど、世界には無数の他者のリアルがあって、息をしている、ということを 改めて感じるのがすきだ。なので普段は忘れている、それは、むしろ意識的にも。だけど、だから 感じるのがすきなんだ。否応にもでなく、あくまで偶然に 曇りの日のカフェの隣になった他人の、もう二度と会うことの無い他人の、生きてきた時間に 触れることが。

男性おひとりのお客さんが入ってくる。どうやら常連さんらしく、お店の方とお話している。珈琲は即決、甘いものの説明を一通り受けて ショートケーキを選ぶ。それが、「色々説明してくれたけど、よくわからん。コレ。」みたいな雰囲気があって(実際どうかはわからない)それがまたいい。ぱくぱくぱくーと食べて、飲んで、ふぅ……と一息して、 ご馳走様! 店主に声をかけて、男性が颯爽と出ていく。今店内にいる誰よりも後に入ってきて、誰よりも先に出ていく。とてもとてもいい。川名の平山さん……。(PERFECTDAYS参照)

お隣の老夫婦の、女性がホットの珈琲を両手に包んで、あったかいね と言う。男性があったかいねと返す。愛おしい……。温度とか 風とか そういう自然に対して肯定的な感謝の気持ちをもてるようになるのにはどれくらいの年月が必要なのだろう?
おふたりがプリンを食べている。わたしもプリン食べようかな……おっといけない、本日3つ目の甘いものになってしまう。理性を保つ。

私より後に入ってきた若い女性2人組(訂正、量産型淡色系女子2人組)は、足を組んで2人小刻みに揺らしている。あのテーブルの近辺だけ震度0.5くらいありそう。食べ物の写真をバシャバシャと撮って、2人会話もなくスマホ片手に食べ、スマホ片手に地面をまた揺らし(震度1になった 増えた 何故だ)早々と立ち去る。店員さんにありがとうございましたと言われても、彼女たちは言葉を返すことはなく 振り返ることも お辞儀をすることも無く、まるで声なんてかけられていないみたいに、出ていった。

おふたりはプリンを食べ、おいしいね おいしいねと言い合いながら、今日や明日の天気の話をしている。

脳のお休みと、ぼく自身のノオトを読む。
昨日の日記を書く。
書き終わった。そろそろ行こうかな。ご馳走様でしたと伝え、店を出る。美味しかったなー、特にラテ。空間もちょうどいい感じで、まあまあ広さがあるので長居に良さそう。店員のおふたりの雰囲気もすきだ。また行こう。

お目当ての展示へ向かう。
松坂屋美術館の、西田俊英展へ。知らないと思ってたけど、みたことある日本画の人だった。絵を描くものの端くれとしては本当に恥ずかしいことだが、わたしは界隈の人の名前がどうしても覚えられない。弓道の時もそうだった。どこどこの強い学校のまるまるさんって部長とか。審査委員の今の会長とか。仕事だとエリマネブロマネ役員の名前とか。どこどこのお店の店主と作家の方とか。
好きなものがあっても、そこにまつわる色々な人々の名前や地位に興味が湧かなすぎて、覚える気がなく、いつまで経っても覚えられない。そういうものに詳しくなっていくまわりの人たちをみると「あ、わたしって実はそんなに好きじゃないのかもしれない。少なくとも、彼らより。」なんて思ってしまい、自分が持つ 好き という気持ちを信じられなくなる 自信がなくなる経験が多かった。きっと自分の好きがわからなくなるひとつの原因はそこにある。
でもいまのわたしならわかる、わたしのすき こそ 他人の中にはないのだから、そもそも比べるものではなくて、そしてその違いは、すきの熱量の違いと等しいかといわれるとそうでもない。すきの熱量を測ることは、自分の中でしかできない。わたしの最大最出力のすきでもって まつわるまわりの名前が覚えられなくても それは わたしにとっては必要のない情報なだけで、別にいい。隣の芝生が青いことを、それを認識しつつも いつしか全く気にならなくなる日が来たらいいな。

日本画をみるといつも泣きそうだ。美しくて。他の人にこの絵はどううつっているのか、気になる。きっとこの会場の人々のだれとも同じ美しさは感じていないのだと思う。それは、全員にとってそうだ。自分だけもつこの自分にとっての美しさを、わたしは大切にしていく。ひいては自分の感性全てを。ひいては自分自身を。

素敵な絵がたくさんあって、ポストカードを買いたかったけれど全然無かった。いつもそうだ!わたしが素敵だと思った絵のポストカードばっかりない。ぜんぶつくってくれ。

ちょっと悩んだけど、まだ本も読みたいし、カフェ2軒目することに。なにより、とても調子がいい。もう少しこのまま自分と一緒に居たい。

いつものmartへ。一時期住んでいた影響もあって、栄に来たらmartは徒歩圏内だと思っている。
少し待つ間に今日のメニューをみる。ロールケーキ!食べたいけど、1件目のカフェでだいぶ摂取したので、今日は焼き菓子系がいいな。
金柑と紅茶のタルトと、ホットチョコレート。
本を読む。
途中で雨が降ってきて、店内が暗くなる。落ち着く。

店内に飾られている2枚の絵 と天井からのスポットライト2つ どちらも重なっていないことに気づく、たぶん、前来た時と比べて、絵が変わっている。でもたぶん、これは意図的なものだと思う。中心に重なってはいない、でも、触れてはいるくらいの光と絵の距離感によって、きっとここは美術館ではなく、カフェの空間の1部で、そのなかにコンクリートの壁と 額縁に入った絵と 照明の柔らかい光 このみっつが店主のこだわりによって 在る ということだ。大好きすぎる。

持ち帰りもして、帰路に着く。
折り畳み傘を開いたら、どうやら壊れていたようだ。手で支えながらなんとか駅までたどり着く。コンビニで傘を買うか迷って、こういう買い物はしないんだった、とやめる。駅から自宅までの道は、雨に降られて帰る。存外いい気分だった。

帰宅。本当に好い日だった。
身体が冷えてしまったので、ハーブティーを淹れて、本の続きを読む。読み終わる。良い本だった……。また、いまのわたしに必要な本だった。ほんとうに、いま、まさにいまのわたしに。良い出会いと巡り合わせに感謝。

パートナーが出張だったので、最寄り駅まで迎えに行く。
帰ってきて、寝支度をして、今日あった出来事を浴びせるように話す。疲れているのに、一緒になって今日のわたしの気づきをなぞって 捉え直してくれる。

まだまだやりたいことはたくさんあるけれど、眠たい。
今日はよく見て よく感じ  よく心を動かされ よく言語化した。 全てを明日の私に丸投げして、眠る。


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