2024.4.8(月) わたしもあなたも 人間皆修行の道の途中

注意 捉え方によってはちょっと言葉がつよいです。大丈夫だよって人だけ読み進めてください。どぎついことは書いてないつもりです。面白がって読んでもらえるといいかな。

履歴書なんてだいきらいだ、と今も思っている。ある種の定型文を 自身がどのくらい優れているかを 今後の輝かしい未来予測を ひとつの虚構を描くような作業。そんなもん! と思っていた、けれど自分の好きなところとか 自分のつよみ とか 自分の大切にしていることとか 他人本位とは異なる自分本位のそれらをひとつひとつ、書き記して 再認識 言語化 文章化をしていくと、ちょっぴり 自信になる。悪くないかもね、とも思う。

とある方が、時間と言葉を尽くしてして下さった話に、とても納得がいく。同じ方向をみていることに、ひとまず安堵、そしてわたしの範囲をゆうに超えた先をみていることに尊敬を抱く。なんだかこういう先駆けて巻き込んで巻き込まれてものごとをすすめていくひとって、同じ感じがするなあ。そういうひとたち独特のかんじがある、きがする。面白い。それもまた人を惹きつける魅力なのだろうなあとも思う。醸し出すものというか……。

きょういちばん新たに理解したことは、そういった物事を進めていく人が この人について行きたいと思わせてくれるような 才覚を持った方が、やさしく 素晴らしく 人格のできた人で必ずあるということでは無いということだ。そもそも人格の出来た人なんていないとは思う。ここで書き留めておきたいのは、つまり、何か一つが輝いた才能だからといってその人の持つ他全ても同じように素晴らしいもので必ずあるということではないということ。人間なのだから、得手不得手、知識のある興味のある領域とそうでない領域、それぞれあるよなあということだ。

発端はお酒だった。「お酒は飲みますか」という質問に対して「ほとんど飲みません」と答える。すると「お酒飲まないタイプだ」と言われる。カチンでもイラッでもないモヤッさえもいかないくらいの“モンヤァッ………”がわたしの心に発生する。例えを出してしまうと珈琲飲みますか、飲みません に対して「君、珈琲飲まないタイプだあ」という発言が出るのだろうか……タイプってなんなんだ?おい、括るな!笑
わたしのパートナーも、お酒を飲まない。それは体質的なものでもあるし、そこまでして特に飲みたいと思わないという嗜好的なものでもある。わたしは飲む時もあるけれど、健康面 お金 好み 色んな理由でそれを選んで飲むことは少ない。
でもわたしのパートナーもわたしも、自分とは違う お酒を飲む人に対して、特に何も思わない。自分と他人は違うのだから、それの善し悪しは特にないし、むしろ、自然なことすぎて自分と違うという感覚もあまりない……、基本的には人を個として見ているし一体一で対話をしているから余計に、「自分とそれ以外」という括りはしない、ただ、「自分 相手」だ。なんなんだタイプって…なんだよ………教えてくれよ……

そこまできて、でもこんなの、認識 捉え方 なにもかも、そういう風に捉えているのはわたしなのか 世間なのか、と分からなくなる。だって、「お酒飲まないタイプだ」のこの言葉から「タイプということば自体のもつ独特なネガティブなニュアンスも含めて言っているのか……?それは自分と他者を区分けした上で若干馬鹿にするニュアンスが伴っているぞ……?」とか「とくにこのネガティブ感を加速させているのは“お酒”というワード……社会クソつまらん思想の“酒が飲めないなんて半人前”みたいなことが実際思っていなくてもその文面からはにおうぞ……?」とか、そんなことを抽出して考えてしまっているのは、そもそも「わたし」の中でその感覚が「わかる」ということにほかならないから。きっと相手はそんな意図はなかったと思う(憶測に過ぎない)でも、そんなふうに思えてしまった!それは相手のささやかなニュアンスの助けがあったわけではない、笑われたわけでも、バカにするような表情 吐息 間があったわけではない、でもそう感じた、そんな情報の少ない中で?それこそ私の偏見では無いの…?きっと彼はお酒が好きなのだと思う。その良さを知っている人なのだと思う。だから飲んでないなんて勿体ないよ、ぜひぜひ飲んでみなよ、美味しいよ!と伝えたかっただけかもしれない、、、けど、推定40代ぐらいの酸いも甘いも色々経験されてきた方に、今の今まで夢を語っていた方に言われて…………そう思ってしまった。
その直前の文脈に、「とても真面目だね、真面目だ」と何回か言われていて、その流れもあるんだと思う。「真面目で、遊んでこなかったんだね、頑張ってきたんだね、もっともっと遊びなよ!なんでも出来るよ!」というポジディブなニュアンスなのだとは思う。思うけど!わたしにはわたしの背景もあるので、そッスね!とは明るく言えない。それを選ばざるを得なかった という経験をしているかもしれないことを 予測して それでも言ったのだろうか。「真面目だねえ!お酒飲まないタイプだあ!」と。言えるのか、体質 家庭環境 それにまつわるトラウマ そんな“あるかもしれない”を予測した上で??

ここでまちがいなく言っておきたいのは、そんなふうなことは、誰しも 起こしうることかもしれない ということだ。わたしだって過去 誰かをそんなふうに 意図せず傷つけた事があるかもしれない(かもというよりむしろ、きっとある)、そしてどんなに注意していても、これから先の未来 わたしはまた誰かを無意識に傷つける事があるかもしれない(かもというよりむしろ、きっとある)。
それを全部回避することはできないと思う。だからとて、誰かを傷つける可能性を全く無視して 誰かに迷惑をかける可能性を全く無視して 自分のすきなように たのしく 楽なふうに していい訳でもない。先ずはじぶんの出来る限り、自分と人とを同じように慮りながらも、なにかのすれ違いがあったとき 意図せずとも誰かを傷つけることになってしまったとき、オープンな姿勢で 話を聞く体勢 態度を いつでももてるわたしで居たい。自分は物事を知らないということ、知りたいということ、そしてなにより自分の考えを変える勇気をいつでももっていること ちゃんと認識しておきたいし、実践して 生きていきたい。
ひさびさにたくさん書いてつかれました。

この考えに至るまでパートナーと姉が わたしの身に起こった出来事とそれに対して生じたわたしのきもちを じっくり聞いて 対話をしてくれました。だからこそ、出来事発生→モヤッ?→よく考えたら怒りが湧いてきた→対話→俯瞰して考える→自身も相手も人間皆修行の道の途中→学びへ という道を歩むことが出来ました。1人では成し得ないね いつもありがとう。感謝。

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