ならみおさんと話したら、分からなさ・定まらなさも自分の良さだと思えた
今日は前から約束していた「みおさんとのお話」の日だった。
みおさんとお話しすることで感じたこと、思いついたことを5つメモしてみる。
長い休みを取ってなかったな、人と遊びたいな
まだ満たされないものがあるのかもな、恵まれてることと楽しいことは少し違うな
分からなさ、定まらなさは強みだな
全部を逆算や枠に当てはめて考えてたな
変化は外からやってくるものだよな、積極的な流され力は大事だな
一言でまとめようとすると「自分はすでに自分の良さを知っているし、自分基準で幸せを感じればいいんだし、すでに答えの道を歩いてるな」という感覚。
5つそれぞれについて、書いてみる。
長い休みを取ってなかったな、人と遊びたいな
フリーランスから会社員になったり、生活環境が変わって料理をするようになってから、長い休みや昔の友人との遊びが全然なかったと気づいた。
フリーランス時代は「1週間何もしない期間」が定期的にあったし、旅行にも出かけていた。友達とも会っていた。
千葉から山梨に引っ越し、コロナが流行り、千葉に戻ってからは家事をするようになり、会社員になり…と内も外もじわじわ変化。いつの間にか長い休みが消滅していた。人と遊ぶことも無くなっていた。
日々に不満はないし、むしろ楽しいんだけど、空白の時間や無益な時間は確実に減っていた。
空白の時間や無駄と思われるような時間は、必要性を感じにくい。有益じゃ無いし即効性は無いから、不要にも思える。だけど人生のくくりで何かを感じたり、しみじみと味わうには、空白の時間や無駄と思われるような時間も少しくらい必要なんだと思う。
わたしは変に真面目なのである。フレックス勤務のくせに、スケジュールを崩したくなくて、曜日や時間通りに働いてしまうし。「トイレってサボりじゃない?」とか思うし。コロナなら出歩くのを控えてしまうし。もう少し柔軟に動けばいいのにね。勝手に自分をルールの中に閉じ込めがち。
さっそく4月は1週間の休みを作り、1年以上ぶりの旅行をしよう。
大学の友達が多い駅まで45分で着く場所に引っ越したから、久しぶりの人と遊ぼう。
長い休みを取るぞ。人と遊ぶぞ。ただそれだけのことが、意外と大事だし忘れてしまう。
まだ満たされないものがあるのかもな
みおさんに「自分のことは満たされたはずなのに、他人や社会に意識が向かない。満たされたら、他人や社会に意識が向くと思ってたのに〜!」と話した。
みおさんは「もしかしたら、まだ満たされてない何かがあるのかもね。わからないけどね」的なことを言ってくれた。
確かに自分を客観的に見ようとすると、満たされている。お金的にも、人間的にも、環境的にも、健康的にも、非常に恵まれている。恵まれているのは事実だ。
ただ、恵まれているからと言って、必ずしも楽しかったり、最強の幸福だったりするわけではない。特にわたしは最上志向が強いので、「より良く」を無意識にやってしまう。
恵まれているけれど、それは客観的な話。わたし個人としては、もっと楽しく仕事できると思うし、友達と遊びたいし、行きたい場所に行きたいし、知らないことを知りたい。
足るを知ることも大事だけど、「恵まれているはず」だと、自分の幸せのMAXを決めつける必要はない。
足るを知る、恵まれている、感謝する。
これとはまた別に、超主観的に楽しんだり、超主観的に幸福を感じても良い。
ということで、「恵まれてるくせに、それでももっと良いものを目指す自分」を受け入れていきたい。足るを知ることと、最上を目指すことは、両立できるはずだよね。
分からなさ、定まらなさは強みだな
数年後の自分の分からなさや、やりたいことへの波、いつまでも大人らしくない定まらなさを抱えている。
もう何年も同じことを言ってる気がするし、
もう何年も同じ話を同じ人にしてる気がする。
「自分の方向性が分からない」「やりたいことが分岐してる」「コロコロ変わってしまう」など。
でも、自分の分からなさや定まらなさは決して弱みではない。ということに2年前に気づいたことを、思い出した。
確かコロナが流行りだした頃、みおさんが「ネガティブケイパビリティ」という言葉を教えてくれた。答えのない事態に耐える力、不確実なものや不明確なものを受容する能力のことである。
参考:
ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力(帚木蓬生)
そういえば、そんな言葉に感銘を受けたなぁと思い出した。
また、最近なぜか立て続けに人から相談したい・話したいという連絡がくる。メンタル不調系の人もいれば、デフォルトが繊細なんだろうなって人もいるし、ベースは元気そうだけど社会に疲れてそうな人もいる。妹からは「姉は昔から話の通じる人だった」と言われた。
決して話しやすそうな雰囲気ではないと思うのに、こういった話が寄せられたり、話の通じる人と言われるのは、自分自身が曖昧なものを曖昧なまま持っていたり、決めつけずに暮らしてきた影響が大きいのかな?それをプラスに察知してくれる人がいるのかな?と思う。
鳥井弘文さんのブログに書かれている言葉にも、ハッとするものがある。
つまり「終わらない自己との対話が続いているひと」が、実はいちばん対話しやすい相手だということです。
引用:対話しやすいひとの特徴とは?
なるほど。鳥井さん理論を(都合よく)採用すると、分からなさや定まらなさを持ち続け、それをSNSに書き続けているわたしは、誰かにとっての対話の相手としては悪くないのかもしれない。
判断したり責任を持つことがあまり得意ではないわたしだけど、一部の人にとっては対話しやすい人であり、分かってくれそうな人であり、なんか共感できる人になり得るのかもしれない。
そう思ったら、自分の定まらなさはなかなか良いぞ?と感じてきた。
全部を逆算や枠に当てはめて考えてたな
仕事っぽいを多めにやっていると、何もかもを目標や計画に整理しないと気が済まなくなってくる。
例えば「友達と遊びたいな〜連絡しよ」でいいのに、仕事脳が優位になりすぎると、「親和性が高そうかつ住んでいる場所の近い友達を20人リストアップしよう。上から順番に連絡して、会えそうな人がいたら、月2人を目安に会っていこう。隔週土曜のルーティーンにしようかな。」などと考えてしまう。友達と遊ぶにしては不自然だ。
単なる性格の問題か、勉強頑張ってきた系人間にありがちなのかは分からないけど、「感覚と理論のバランスが崩れる」「全部をスピリチュアルで解決しようとする」「全部を目標・計画に落とし込もうとする」など、とにかくバランスが偏って不具合を起こすことがある。
感覚と理論のどちらかが優位な人もいるだろうけど、おそらくわたしはちょうど半々である。天秤で均衡が取れている時みたいな。半々だからこそ、どちらかに傾いた時の不具合は頻繁に起こる。快適な範囲が狭いというべきか。
とにかく最近は、仕事っぽく、効率を求めたく、無駄なことをしたくなく、計画的にやりたい自分が顔を出しすぎていた。
「10時間仕事できた、いえーい」
「休憩時間にエージェントについてリサーチできた、いえーい」
「寝る前まで資料を読んで勉強できた、いえーい」
こんな瞬間も増えていたなぁ。
わたしは半々の人間。快適な範囲が、もしかしたら狭いかもしれない。言葉にすると普通すぎて泣けてくるのだけど、バランスを大事にしたい。説得力ない言葉だなぁ、バランスを大事にしたい。
バランスを大事にするには毎朝1時間余裕を持つ習慣を作るべきだよな、などと、また「べき論」が始まってくる。
習慣を作ることで余裕は生みやすいけども、「べき論」が始まるのは微妙だよなぁなどと思う。
感覚派な自分を許容する時間を取りたい。
そういえば最近、月の満ち欠けを気にしていないなぁ。詩を読んでいないなぁ。占いをしてないなぁ。ちょうど明日は新月なので、久しぶりに月の満ち欠け日記を書こうか。
変化は外からやってくるものだよな、積極的な流され力は大事だな
みおさんに「キャリアの逆算ができない。10年後とか謎すぎる。みおさんは逆算したり、やってく事業やポジションを定めながら生きてますか?」と聞いてみた。
みおさんの答えは意外だった。
「受動的かも。誘われたり、紹介されたり、体調を崩したり、人間関係に不具合が出たり。そういうときに動物的な勘が働いて、積極的に流されてることが多いな」とのこと。
この返答を聞いて、完全に同意した。
「大事な選択や大事だったと感じる変化って、自分主体というよりは、広い意味で流されたときだわ」と思った。
確かにある程度は自分で出かけたり、情報を取りにいったりするけれど、やることをやったあとは流れがくる。仕事だって紹介ばかりだ。
わたしは何か大きな賞を受賞したいクリエイターではないし、コンペで仕事を取りに行くような人でもない。だったら自分で立候補したり、目立ちにいく必要はほとんどなくて、「ある程度動いたらあとは周りからの要請に応える」で十分だ。
やはり「逆算して動かなきゃ」と思いすぎていた。
過去を振り返れば分かる。圧倒的な目標があるときは「えいっ」とエンジンをかける必要があるけれど、それ以外の平常時は周りからの要請に応えるくらいで十分だ。
そんな感じ。
わたしが感じたこと5つをもう一度メモしておく。
長い休みを取ってなかったな、人と遊びたいな
まだ満たされないものがあるのかもな、恵まれてることと幸せなことは少し違うな
分からなさ、定まらなさは強みだな
全部を逆算や枠に当てはめて考えてたな
変化は外からやってくるものだよな、積極的な流され力は大事だな
これを踏まえて、3月からさっそくやっていきたいことを書いてみる。やりたいとは書きつつも、たぶん忘れるんだけど。忘れたら忘れたでいい。仕事の目標じゃないので、「淘汰されなかったこと=大事なことなのかもね」くらいに捉えれば良い。淘汰されて忘れたら忘れたで気にしなくて良い。
3月からさっそくやってみたいこと
1.誕生日休暇をつくろう
4月に誕生日がある。最近有給が付与された。誕生日休暇を取るしかない。
新年度と誕生日が重なるから、気分転換にはとても良いんだよね、誕生日休暇。
ワークキャリアというキャリアを扱う事業に携わっているのだから、働き方研究の一環として誕生日休暇を設定しても良いだろう。有給だし。
人生初の有給は誕生日休暇に使ってみる。春の長野に行きたいなぁ。
2.何もしない習慣を作りたいな
脳みそも時間もいっぱいいっぱいだった気がするので、何もしない習慣がほしいな。何もしない習慣というよりは、「思考じゃない時間」というべきか。例えば瞑想や長めの散歩、ヨガ、占いなど。昔流行った言葉で言うと「右脳」というやつか。
思考じゃない時間は意識しないと取れないよね。考えるのが趣味、みたいなところもあるし。
3.所属する団体を増やそう、人と遊ぼう
最近の革命なんだけど、人と一緒に何かしたほうが良いなと気づいた。というか、人とやらない限り、面倒くささが勝ってしまい、何もやらないんだよね。だから何がするときは人とやるのは大いにアリ。
あとは利害関係の薄い友達が欲しい。けど、ピンポイントでだれかと友達になるのは荷が重いので、うっすらと所属する団体を増やしながら、気になる人を見つけていけたらいいな。
さらに言うと人と遊びたい。単純に。この前、大学時代の友達と3年ぶりに会ってランチしたらとても楽しかった。本当にどうでもいい記憶が頭の片隅から降りてきたり、ノリで別の友達に連絡して次の遊ぶ約束までしたり、「あぁ、友達と遊ぶっていうこの感覚、いつぶりだろう」と感じてしまった。コロナもあったからね。
大学時代よりはお金もあるわけだし、まだ子どももいないわけだし、こんなに貴族のような時間はなかなか無い。昔の女友達と、どうでもいい話がしたい。「やりたいこと」なんて、それくらいのこと。
締めのメッセージ
そんな感じで、少しのモヤモヤと、最近の体験と、みおさんとのお話を通して色んな発見ができた。1の体験や関わりで10まで知見が広がる脳みそをしている。(体験や関わりが多すぎると、すぐに許容量を超過するとも言える。)
自分が楽しいと思える範囲内で、人と関わったり自分を楽しませたりしていこう。
みおさん、いい機会をありがとうございました!
いい人が周りにいて本当に恵まれている…じゃなくて、楽しいな〜。
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