カツセマサヒコさんの「明け方の若者たち」を読んだら、大学時代を過ごした「西千葉」に行きたくなったので、行ってみた
カツセマサヒコさんの著書「明け方の若者たち」を読んだら、大学時代を過ごした「西千葉」に無性に行きたくなったので、行ってきました。
わたしが大学時代を過ごした街は、西千葉。千葉大学西千葉キャンパスに通っていました。
1年の浪人のすえ、2014年4月に入学。2018年3月に卒業。
地元は秋田県なので、大学進学を機にはじめて一人暮らしをしました。
※この記事は、自己満です。元千葉大生以外が読んでも、本当に面白くないと思います。
東京駅から「総武線快速」に乗り込む
東京駅から千葉駅まで総武線快速で移動。グリーン車で移動してみた。
大学時代はとにかくお金が無かったので、グリーン車なんて頭になかった。今回は荷物も多く、お金も多少余裕があったので、「快適さのためには課金してもいいのでは」と思い、初のグリーン車。
快適さをお金で買う、なんて、社会人っぽい。
西千葉の隣、千葉駅からスタート。週2で通ったラーメン屋さんへ
予約したホテルが千葉駅だったので、西千葉駅を通り越して千葉駅へ。
▲千葉駅西口の様子
大学時代には存在しなかったビルがたくさん。
無かったはずの「ホテルリブマックス」などが建っていた。
元バイト先の目の前にあるラーメン屋さん「頑々坊主」。多いときは週2で通ってた。
入店。
雰囲気は特に変わりなく、おばちゃんも健在。
690円だった「しょうゆとんこつ」は、770円に値上がりしていた。
今通っているラーメン屋さんは一杯600円なので、770円は高く感じる。
頑々坊主のラーメンは普通に美味しかったけど、「今通ってるラーメン屋さんの方が好みだなぁ」という気持ち。
大学時代は「ここの豚骨が一番美味しい」と信じて疑わなかったけれど、そんなことないな。
大学時代の一番なんて、塗り変わっていくよな。
千葉駅の三井ガーデンホテルへ宿泊
もっとも安かったため、ここを選んだ。おまかせプランにしたところ、一人なのに、こんなに広い部屋に。
実はこのホテル、秋田から千葉に上京(?)するときに、引っ越しのために親と一緒に泊まったホテル。
「千葉生活のはじまり」とも言えるホテルに再び泊まることができて、嬉しい。
ホテルの眼の前にあったPARCOは、消滅していた。
大きなショッピングモールが閉店するとき、中の店員さんたちは、どこで働くんだろう。
京成千葉駅からみどり台駅へ
SOGO横にある京成千葉駅から電車に乗り、新千葉、西登戸、を通り過ぎてみどり台駅へ。
千葉大学の最寄りといえば西千葉駅だけど、敷地が広いため、みどり台駅の方が近い校舎もある。
夏休み中ということもあり、閑散としたみどり台駅。
ちなみに西千葉駅はこんな感じ
みどり台駅から大学までの道のり
みどり台駅から千葉大学正門までの短い道のりにも、思い出を発見。
▼ 焼肉と刺身を同時に食べられるお店「だんぼ」。
教育実習で疲れ果てた後、友達と焼肉を食べに来た気がする。
教育実習中はすでに教員にならないことを決めていた。でも毎日日誌を書かなきゃいけないので、家でも教育実習関連の作業。
お風呂に入る時だけは、最果タヒさんの詩集を読んだり、ホリエモンの本を読んだり。教育実習中も、「学校」「公務員という進路」への反抗心を持ち続けて生きてたな。
卒業から3年間、フリーランスとして生活しているよ、と当時の自分に伝えたい。
▼元彼が住んでいたアパート。
大学1年の後半〜2年の後半まで付き合っていた元彼が住んでいたアパート。今は知らない人が住んでいるのだろう。
元彼とは今でも普通に連絡を取っている。
ベンチャー企業に転職して、なぜか宇都宮配属になり、忙しく働いているらしい。2年くらい会ってないな。そろそろ話したいな。
▼スーパー「マルエツ」のあった場所。
緑の土地になっていた。
「マルエツ」が決め手となってこの辺りのアパートを選んだ人もいたはずなのに、「マルエツ」が消滅してしまい、ちょっと可哀想だ。
▼お弁当が美味しいカフェソリーゾ
小さいお店だけど健在で嬉しい。
▼ 当時流行っていた(?)ローストビーフ丼などが食べられる、RFD。
▼千葉大生なら誰もが行ったことのある、ガザル。
お腹が空いてたので入ってみた。
キーマカレーを注文。
相変わらずナンが大きい。しかも分厚い。
「食べきれないわ〜」という雰囲気を醸し出しても、店員さんが「ナンおかわりいりますか?」と聞いてくる。断った。
大学生当時は、インドカレー=ガザルしか知らなかった。ガザルはどんなカレー屋さんよりも美味しいと信じていた。実際に美味しい。
でも、今はもっと美味しいインドカレー屋さんを知っている。
大学時代の一番なんて、本当に信用できないな、と再び思わされた。
食の好みが変わってしまったというべきか、舌が肥えたというべきか、分からん。
食べ物にしろ、恋人にしろ、進路選択にしろ、大学時代の「一番」なんて、全然あてにならない。
▼正門前の歩道橋。
ここは、私のアイコン写真を撮ってもらった場所。
▼これ
同じ学科の友達が撮ってくれた。その友達は、今はフィンランドに住んでいる、元気だろうか。
大学構内に到着。規制がかかっていた
コロナの影響で、規制がかかっていた。学生、教職員、業者、通行する人、以外は規制中とのこと。
私は千葉大学正門の逆側に移動したかったので、「通行する人」に分類されるだろうと気持ちのもと、敷地内に入ってみる。
千葉大学構内を通行する
学食前。
どうしても喉が渇いたので、ライフセンター(コンビニのような店)に入店。部外者なのにすみません。
▼「一番安いから」という理由でみんなが買ってた「あなたのお茶」。
▼ここで免許の申し込みをした。稲毛自動車教習所に通った。大学2年の頃。
免許を取得して以来のペーパードライバーなので、そろそろ練習したいな。大学生を食い散らかしてそうな感じの教習所の指導員さん、元気かな。ちょっと好きになりかけたな。
ライセンを出て、裏の方へ行ってみる。
▼サークル会館、通称「サ館」。
心なしか綺麗になってた気がする。私は書道サークルに所属していた。懐かしい。みんな元気かな。
教育学部棟の方に行ってみる。
▼教育学部2号館。
1~2年生の頃は、教育学部の合同授業でよく利用した。日本国憲法の授業を担当していたオニギリ、元気かな。
▼教育学部4号館。
我らのホーム。教授の部屋を訪れたい気持ちもあったけど、アポとってないし、部外者は通行以外で入れなさそうだったので、眺めて去る。
▼我々が「B号館」と呼んでいた大講義室は、「総合校舎G2」という名前に変わっていた。
教養学部が新設され、色々と改変されたのだろう。
徒歩と自転車ゾーンが分けられていた。確かに授業が終わると、混み合って危なかったもんな。
▼図書館は綺麗。池は汚い。
この辺で、大道芸みたいなサークルの人が練習してたな。小さい箱を三つ使いながら芸をするやつ。
電電タワーってこの辺だっけ。
工学部6号館って、建築かデザイン科だっけ。
当時の彼氏は、工学部建築学科だった。朝一緒に登校して、この辺でバイバイしてた気がする。
▼「日本語支援室」の文字に、英語がふられていた。
私が在学していた頃は、英語がふられてなかった。
「日本語支援が必要な人は、漢字なんて読めないだろ!英語で書けよ!」と心の中で突っ込んでた。
無事に英語がふられていて、安心。
▼西千葉駅前の南門
▼大学構内を自由に走ってよい、使い放題の自転車「コグー」
▼大学の道たち
▼主に工学部の大学院生が通る道
大学時代後半は、工学部の大学院生を好きだった。「一瞬でも会えたらいいな〜」と思って、自分の学部とは関係のない「工学部の大学院生がよく通る道」を通ってた。健気。
▼南門の近くにあったカレー屋さん「タンドリー」が、なんと「ガザル2号店」に。
カレー屋さんからカレー屋さんに。ガザルの侵食、えぐい。ガザルの店員さん(インド人かパキスタン人かその辺)が、タンドリーの店員さんと交渉したのかな。強い。
▼ハイボール五十円。
死ぬほど安い居酒屋「鮭ヤロー」は健在。お通しのえびせん、好きだった。
▼初めて髪を染めた「Dejave」。
お金がなかったのに、色をキープするために、1ヶ月半に1回通ってたな。
▼西千葉駅前は、大きな変化はなかった。
すき家、松屋、日高屋、武蔵家、無限大、西友、てばいち、牛角、庄や、よろしく。薄暗くてなんかおしゃれなアクアは無くなってた。
安くて美味しかったポポキも、空きテナントと化していた。悲しみ。。
友達のいない友達の家
友達が住んでいた家はそのままあるけれど、中に住んでいるのは確実に別の人。卒業から3年経つと、大学院に進んだ人ですら、もうほとんど卒業している。
ほぼ毎日通った駅ビルの中身がほとんどすべて変わってた
西千葉駅構内のお店は、ほぼ全て変わっていた。
人生で初めてバイトしたミスドも消滅。パン屋さんに変わってた。
まぁ数日で辞めたので、初バイトとカウントしてもいいのか分からないけども。
「大きい声出すの、嫌だな」「立ちっぱなし、嫌だな」という理由で辞めた。今はフリーライターとして、自宅で座りながら作業しているので、ミスドを辞めた理由はある意味正当な感じである。
元彼がちょっと変な髪型にされてた美容室が消滅していた
元彼が少し変な髪型にされてた美容室も、空きテナントに。
駅近でも消滅するのね。
私が住んでたアパートに知らない人の服が干されてた
知らない人の服が干されていた。当たり前といえば当たり前だ。空室じゃないだけ、寂しさも紛れるか。
ネットで確認したら、家賃が3,000円ほど下がってた。6年経てば、家賃も下がるか。家賃が下がるほどの時間が経過してしまったんだな。
でもね、今でもネット上の写真を見ると、私のスウェットが干されている。ネット上では、まだ私の家みたい。
アパートの向かい側の駐車場だった場所は、13階建のマンションになっていた。
そうやって2階建のアパートから日光を奪うのだ。
家を借りた不動産会社は健在
秋田から千葉に入試を受けに行った私。入試の「前日」に部屋を予約したんだよね。合格発表は直接行けないから。
浪人していた私はセンターで思うように点数が取れなくて、千葉大学に受かる気なんて無かったから、「絶対落ちてるのに予約なんてアホらしいな…なにこの切ない行為…」と思ってた。結局、ギリギリで受かったのだけど。
千葉大学を諦めて、別の地方国立を受験しようとしてた。でも恩師に「ななは千葉大に行くために浪人したんだから、前期は千葉大を受けなさい」と言われて、千葉大を受けた。
もし恩師がいなかったら、私は千葉大にいなかった。ありがたい。
ウーバーイーツが走ってた
4~6年前は見たことのない、「ウーバーイーツ」が走ってた。
千葉大生だろうか。千葉大生は頭がいいんだから、ウーバーイーツなどせずに、WEB系の仕事で稼げばいいのに、と思ってしまう。老害だろうか。
2年半ぶりじゃ思ったよりも懐かしくない
「明け方の若者たち」を読み、懐かしさを感じたくて、短歌のネタを探したくて、西千葉に行ってみた。だけど思ったよりも懐かしくなかった。
懐かしいと思えるほど時間が経過してないのかもしれないし、思い出を共有した人が隣にいないので、面白くないのかもしれない。
結局一人で散策しても、思い出せるのは、自分の記憶の中にある思い出だけ。誰かと散策すれば、私の記憶にはなかった思い出が蘇ったかもしれない。
思ったより懐かしさは感じなく、さらっとした気分。
次こそ懐かしさを感じたいので、数年後、誰かと一緒に行こうかな。
何年経てば懐かしく感じるようになるんだろうか。一緒に行く人次第だろうか。懐かしさって、感じたいと思っても、都合よく感じられるものじゃないんだな。という学びを得ました。
大学時代の自分、またね。
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